今の法悦につつまれている身のしあわせを思うにつけて、綽空は、自分をして、今日あらしめてくれたものの恩を思わずにいられなかった。
父母、師の君の、慈育の恩。
また、叱咤、鞭(べん)打(だ)の先賢の恩。
かぞえれば、叡山(えいざん)の雲にも、路傍の一木一草にも、ひざまずいて、掌(て)をあわせたい恩を感じる――
わけても、彼の心に、今もふかく刻みこまれているのは、十九歳のころのまだ惨心傷(いた)ましい時代にうけた聖徳太子の霊告だった、年ふるたびに御宏恩の偉大さを思わずにいられない彼であった。
この国土にあっての仏教であり、この国の人民たる一沙(いちしゃ)弥(み)として、苦難もあり、試練もあり、今日の法悦もある身であった。
これから先もまた、どう、生涯するにしても、その浄土仏国の建立(こんりゅう)のほかに、自分の使命があろうとは思えない。
太子は、それを、まだ真の闇だった若い惨心一穂(いっすい)の灯となって、暗示して下すった第一のお方だった。
後の苦難にたえた力は、その時の灯りの力である。
難(なに)波(わ)江(え)へ――岡崎を出た綽空が、まっすぐに、摂(せっ)津(つ)の四天王寺へ向っていたのは、その宏恩に対して、今日の報告をするためであったにちがいない。
しばらく、四天王寺に停(とど)まっていた。
そして、ふたたび草鞋(わらじ)の緒を結ぶと、足を、河(かわ)内路(ちじ)へ向けて、二月末の子の眼怒気を楽しむように、飄々(ひょうひょう)と、袂(たもと)を東風(こち)にふかせてゆく。
「奴。……まだ気がつかぬ容(よう)子(す)らしい」
大きな黒犬が、彼の後からついていった。
その犬を連れているのは、いうまでもなく、播(はり)磨(ま)房(ぼう)弁円。
兜(と)巾(きん)をあてた眉(み)間(けん)には、去年の秋以来、狙(つ)けまわしている必殺の気がみなぎっている。
綽空の後を尾(つ)けてくる前に、京の刀師に、その腰におびている戒刀も充分に研がせてきたくらいだった。
だが――京から難(なに)波津(わづ)――四天王寺から河内路と、こう、往来の多い場所では、とかく、寄りつく機会が見出せなかった。
やや淋しい並木などで、今だと、心を奮い起そうとした折もないではないが、なぜか、そんな時に限って、妙に気が怯(ひる)む。
――隙がないというかあまりに、綽空の身が放胆に投げだされてあるのでかえって手が出(で)難(にく)いのか、いつも、機を逸してしまう。
怖ろしい黒犬が、絶えず後になり先になりしているのを、綽空は、知っているのか否か、やがて、磯(し)長(なが)の叡福寺へ彼の姿はかくれた。
聖徳太子の御(み)霊(たま)廟(や)のある御葉(みは)山(やま)の松の丘へ――その松風の中へ。
わんッ!黒が、山門の前で、急に吠えだしたので、
「畜生」弁円は、そこからいちど、里の方へ逃げだした。
そして、黒は遠い松林の奥へ荒縄で縛りつけて出直そうとした。
わん、わんっ、わんっッ――
彼の姿を見送って、黒は、発狂しそうに吠える。
何となだめても畜生のかなしさである、弁円は、研(と)ぎすました戒刀を抜いて、犬の鼻へ突きつけていい聞かせた。
「おとなしく、一晩、ここで待っていろ。――いいか、褒(ほう)美(び)には、後で、似非(えせ)聖者(ひじり)の生き血をぞんぶん舐(な)めさせてやろう」