乳幼児の健診に関わっている多くの関係者によれば、「1歳6カ月児の発語数が激減している」のだそうです。
また、あるNPO法人の調査によれば、1歳6カ月健診での発語数が10語に満たない子どもが年々多くなってきているそうです。
このような現象の背景には、いったいどのような事柄があるのでしょうか。
乳幼児期の子どもが「言葉」を獲得するためには、何よりも「周囲からのはたらきかけ」が必要です。
子どもは、自分の周りにいる人からの語りかけによって、音声を「言葉」として認識し、その意味を理解し、記憶して発語するようになります。
そうすると、子どもが自分に向って語りかけられている音声を「認識」⇒「理解」⇒「記憶」⇒「発語」するようになるためには、何よりもまず子ども自身が「自分に話しかけられている」と受け取ることが必要になります。
このことについて、「子どもと保育研究所ぷろほ」の山田眞理子所長は、次の3つの要素が必要だと述べておられます。
?少し高音になる。
?少しゆっくりになる。
?抑揚がオーバーになる。
この3つの要素を持った音声が発せられると、子どもは「自分に話しかけられている」と認識して「聞こう」とします。
これは、テレビなどからの語りかけでは不可能に近い直接的なやりとりです。
ただし、この3つの要素を本来的に満たしている日本の古典芸能の1つ「狂言」は、たとえテレビから発せられていても子どもがその語りかけに注目するのだそうです。
また、言葉を聞いてもそれを自ら発するためには、何より子どもにとって「話したいこと」(発見したこと、感動したこと、嬉しかったこと、悲しかったことなどの感情の動き)があり、そこに「聞いてくれる人」(自分に関心を持って耳を傾け、理解しようとしてくれる人)が必要です。
この2つの要素があって、人は初めて「話すため(コミュニケーションのための)言葉」を獲得することができるのです。
そうすると、いま1歳6カ月の子どもたちから発せられる言葉の数が激減していることの背景にあるものが、おぼろげながら見えてくるような気がします。
それは、子どもに向って話しかける大人の数が減っているということです。
具体的には、核家族化により子どもの周りにいる家族の数が減ったことに加え、子どもの周りにいる大人から「抑揚を持った、ゆっくりした、高音で話しかけられること」が著しく減ってきているということです。
周囲の大人たちの関心は、わずかな時間さえ惜しむかのようにスマホ、タブレット、パソコンなどに向いています。
そのため、後追いの時期を後追いすることなく過ごし、ハイハイの時期をハイハイをせずに過ごし、言葉の獲得をする時期に相手をしてくれる人がいない状況で過ごした子どもから、多くの言葉が聞かれないのはしごく当然のことだと言えます。
言葉を獲得するためには、話したいことがたくさんあり、それを聞いてくれる人がいることが必要不可欠です。
信州大学の山沢清人学長が、4月4日に行われた入学式で参加した新入生に対して「スマホやめるか、大学やめるか」と語りかけたと、朝日新聞デジタルが報じネットで話題になりました。
山沢学長は「世界の状況は変化が大きく、スピードも速く、ICT(情報通信技術)の進歩で一気にグローバル化します」と述べる一方で、スマートフォン依存は「知性、個性、独創性にとって毒以外の何物でもありません」と注意し「(スマホの)スイッチを切って、本を読みましょう。
友達と話をしましょう。
そして、自分で考えることを習慣づけましょう」と呼びかけられました。
現代の若者の生活にとって、おそらく欠かすことのできないアイテムの一つであるスマホを真っ向から否定する意見に、ネットでは激しく反発する声があがりました。
もちろん多くの賛意も示されました。
スマホなどの電子機器は、現代の生活の中では確かに便利なツールですが、いわゆる光と影の要素があることもまた紛れもない事実です。
ツールを使いこなすか、振り回されるか…、それは個々の自覚と力量次第といったことになるのでしょうか。
いずれにせよ、子どもと関わる場合は、やはり「スマホは置いて」直接向き合い、「抑揚を持った、ゆっくりした、高音で話しかけること」を大切にして頂きたいと思うことです。