CAMBODIAN WEDDING(完結編)

さて、前回(2014年11月前期)前々回(2014年5月前期)と、一年かかってようやく今回カンボジアの結婚式について触れることになるわけで、これまでを改めて自分で読み返してみますと、あっちへフラフラこっちへフラフラ、遠廻りばかりして一向に進まない文章に、まるで自分の人生をそのまま垣間見るような思いもしますが、そんなこんなでいよいよCAMBODIAN WEDDINGの開幕。

暑い暑いカンボジアとは知りつつ、一応失礼にならない程度に、シャツにジャケットという格好で行きました。

しかし、着くや否や衣装屋さんらしき人に「あなたも早く着替えてください」と半ば無理矢理に服をはぎ取られ、着せられた格好がこの写真。

001

誰が新郎なのかよく分かりませんが、カンボジアでお祝いの時に着用する男性の伝統的な衣装だそうです。

ズボンに見えるのは、実はこれ一枚の大きな布。

腰から下に巻いて、余った部分を後ろでしっぽのように細長くぐるぐると巻き、それを股下を通して前に出し、帯で縛るというもの。

ゆるゆるのふんどしを締めているような感じといえば少しは伝わるでしょうか。

私の役目は、いわゆる新郎の付き人として、彼に日傘を差しながらお供をして歩くというもの。

300メートル程離れた場所から、音楽隊を先頭に子どもたちからご年配の方々まで村人総出でパレードをして新郎宅まで向かいます。

身内の一人がマイクを握り、パレードの様子を逐一実況しながら行進が進み、特設の大きなスピーカーからはその様子が大音量で流れ、それはそれは賑やかなものでした。

002

家に到着すると、まずBuddhaの前でみんなでお参り。

そして、お互いの両親へ体をひれ伏して何度も何度もお礼をして感謝を伝えます。

カンボジアの人たちは本当にご両親を大切にします。

自分の誕生日であっても、それは自分へのおめでとうではなく、母親が最も苦しんだ一日であり、自分を産み育ててくれた両親へ有難うを伝える日。

003

004

005

両親の次にそれぞれの祖父母、兄弟、叔父叔母、あらゆる身内や親戚、村長や村の長老方に至るまで、感謝を伝える儀式が続けられます。

これらの様子も、進行役を兼ねた方がマイクで実況し、スピーカーから村中に伝えられています。

その間私はというと、何故か次への衣装チェンジがあるというので、とりあえずこれまで着ていた黄色の衣装を言われるがままに脱ぎ、パンツ一丁に肌着という出で立ちで家の隅で待機。

目の前では新郎新婦による感謝の儀式が厳かに執り行われている中で、ちらちらと長老方の「あいつは何者だ」という視線が辛い。

日本人は結婚式に風呂上がりのような格好で参加するのかという心の声が聞こえてきそうで相当落ち着きませんでしたが、「すぐまた着替えるからこのまま待機しておくように」との指示通りに僕は従っているだけだと、半ば強引に思いをひっくり返し、でもせめてズボンぐらいは履いておけばよかったと後悔しつつ、悶々とした思いで、その厳粛なひと時を眺めているのでした。

一通り儀式が済むと、新郎が手にたくさんのアンコールビア(カンボジアのビール)を持ってきて私に勧めてくれました。

出会ってからこれまで、僧侶だった彼がビールを口にする姿をまず見たことはありませんでしたが、僧侶という身分を離れた今、ようやくこうして一緒にお酒を酌み交わす記念すべき最初の杯。

カンボジアの眩しい伝統衣装に身を包む彼と、何故かパンツ一丁の私。

私は自分に「これでいいのだ」と強く言い聞かせながら、彼についでもらって飲んだアンコールビアの味は、一生忘れません。

さて、次は自宅前のテントに場所を移し、村の子どもたちから大人までみんなが集まり、何かイベントのような時間が始まりました。

言われるがまま、私も今度はピンクの衣装を着せられ、その輪の中に加わります。

006

中心では男性と女性による芝居のようなコントのような、二人の絶妙な掛け合いが繰り広げられ、言葉は全く分かりませんが、顔の表情や体の動き、また芝居の流れなどから何となく理解ができます。

お決まりのお色気シーンでは割れんばかりの歓声と大爆笑。

妻に断られ淋しそうにしょげかえる夫の姿はどこの国でも情けなく、そこに国境はありません。

何となく、何となく分かってはいましたが、私に矛先が向くのは時間の問題でした。

外国人は私たった一人ですので、いじられないはずがありません。

案の定、輪の中心に引っ張り出され、見よう見まねで踊り、腰を振り、おもしろいポーズをし、されるがままに笑われ、そしてみんながいい笑顔。

来てよかったと思いました。

007

ところで気になる結婚式の食事ですが、家の裏に回ると豪快な炊き出しが行われており、その光景もさることながら、村中のみんなが何かの形で式に関わり、皆でもてなしをするという空気に、大きく心を動かされるものがありました。

008

009

010

私はこの光景を目にし、ふと子どもの頃の記憶として、お葬式の様子が思い浮かびました。

当時はまだ今のように葬儀会館ではなく、ほとんどが自宅で葬儀が勤められていましたので、その都度隣近所、班の方々が集まり、準備やお手伝い、炊き出し、子どもたちは子どもたちで集まって遊び、厳かな中に賑やかさがあり、人との交流がありました。

まさに別れを通じて出会い、育つ場がそこにはあったような気がします。

そのように、カンボジアの結婚式の裏側を見たとき、たまらなく懐かしい思い出が蘇り、また一方で、便利さや都合ばかりが優先される現代日本の風潮の中で、このような環境をどこかで大切に受け継いでいかなければと、強く思うところでもありました。

さて、食事の後も引き続きまだまだ儀式が続けられ、午後3時あたりから今度は友人たちが集まり、夜通しでのパーティーが開かれるとのことでしたが、なんせ1泊3日の弾丸スケジュール。

私は夜の飛行機で帰らなくてはならないので、彼の友人たちが続々と集まり始めているのを横目に、名残惜しくサンボー村を後にするのでした。

カンボジアの結婚式のご縁に遇う中で、慶び事も悲しみも、最も身近な我が家、「家」でするというところに大きな意味がある、そう改めて感じながら帰路につくことでした。

【確認事項】このページは、鹿児島教区の若手僧侶が「日頃考えていることやご門徒の方々にお伝えしたいことを発表する場がほしい」との要望を受けて鹿児島教区懇談会が提供しているスペースです。したがって、掲載内容がそのまま鹿児島教区懇談会の総意ではないことを付記しておきます。