朝の清掃が済むと、性善坊は六条まで行く用事があるといって、後をたのんで出ていった。
輦(くるま)小屋(ごや)の中の実性は、まだすやすやと昏睡(こんすい)に墜(お)ちている。
その隣の牛小舎は空(から)で、陽がいっぱい射(さ)しこみ、牛は遠いほうで草を喰(は)んでいた。
(牛のかわりに、この中へ入っていたら、暢(のん)気(き)であろうな。
おれのように、なかなか雑念(ぞうねん)も煩悩(ぼんのう)も捨てられない奴は、それがいちばん解(げ)脱(だつ)の近道かも知れないぞ)
太夫房覚(かく)明(みょう)は、牛小屋の外に積んである干(ほ)し草(くさ)のうえに坐りこんで寝足らない顔を陽(ひ)なたに曝(さら)していた。
いつの間にか後ろへ倚(よ)りかかって、覚明は、居眠っていた。
まるで子どものように他愛ないのである。
この男も、善信(親鸞(しんらん))を師と仰いでから、もう年久しい。
善信自身が、ここに落着きを得るまでは、ほとんど席の暖まる間なはなかったし、他からの迫害に追われなければ、自身の悩みと求道のため、波瀾から波瀾へ年月を送ってきたので、弟子たちとこうして静かな草庵の陽(ひ)を守ることもきょうまでなかったといってよい。
でも、行きはぐれても、離れても、いつのまにか、性善坊と、この覚明のふたりだけは、善信のそばへ戻ってきていた。
――もっとも今は、その善信は旅に出ていて留守ではあるが。
牛が、のどかに啼く――覚明は、ゆうべの思わぬ怪我(けが)人(にん)の世話をやいて、ろくに眠れなかったせいであろう、唇(くち)から涎(よだれ)をこぼしている、いかにも快(こころよ)げに居眠っているのだ。
壮年時代には、進士(しんし)覚明といわれて、その才は都に聞こえ渡っていたし、木曾殿が兵を挙げた時には、一方の侍大将として、平家の武者を心から寒からしめたほど豪勇な人物であったが、こうして見ていると、まるでその当時の猛々しさなどは、影にも見えない。
自分ではいつまでも、(まだいかん、まだ脱(ぬ)けきらん)と、しきりに常々いっているが、この居眠り顔は、いかにも生ける羅漢であった、菩(ぼ)提(だい)の光がうしろに映(さ)しているかのようだった。
ばたばたと跫音がしたので彼は眼をあけた、渋そうにその眼を横に向け、なんとはなく驚いて立ち上がったのである。
「覚明さん、はやく来てください」
誰が呼ぶ――そして跫音はまた、小屋の蔭へあわただしく消えてゆく。
「なんじゃ」
覚明は、駈けて行った。
すぐその眼に映ったのは、草庵の裏にある川べりで、二人の大法師が、薙刀(なぎなた)をかかえ込み、裏方の玉日を取り巻いて、なにか穏やかならぬ暴言を吐いている様子。
覚明の大きな体が、あんなにも軽捷(けいしょう)になるかと思われるほど、その行動は迅(はや)かった。
「――あ痛っ」
法師の一人は、撲られた横顔をかかえ、よろめきつつ、
「何をするかっ」
いうまに、覚明の手は、もう一人の襟(えり)がみへ伸び、
「こうする」
ひき寄せて、腰帯をつかむと共に、ぶんと振廻して大地へたたきつけた。
*「進士(しんし)」=大宝令(たいほうりょう)の制で、式部省の一定の試験の合格者。後の文章生(もんじょうしょう)。ここでは「秀才進士」の秀才の次の意。