いやしい声が向うでひびく。
笑っている前歯が唇から飛び出し、その法師が何を語っているかが、川のこなたにいる彼女にもわかる気がする。
それきり言葉をかけられないのを幸いに、玉日も川向うを見なかった。
洗い物はもうすんでいた。
絞(しぼ)って早く草庵へもどろう。
丸木橋はずっと下流(しも)でなければならないのに、どこを越えてきたろうか、しかもいつの間にと思うような速さで、その法師二人は、大薙刀に陽(ひ)の光(ひかり)を刎(は)ね返(かえ)して、小脇に持ち、
「裏方――」
こんどは彼女のすぐ背後(うしろ)へ来ていうのだった。
「ゆうべ……いや明け方かも知れんな。この附近、傷(て)を負った学僧が一名、歩み迷ってはいなかったか。
――まだ生若い末輩(まっぱい)じゃよ。ご存じないかの」
「ぞんじませぬ」
「知らん?」
鼻を鳴らすように一人はつぶやいて、
「じゃあ、執(しつ)拗(こ)くはうかがうまい、そのかわり、あれなる草庵へちょっと案内を頼む」
「どうなされますか」
「そこらの納屋、床下など、ちょっと探させてもらうのじゃ」
「折悪しゅう、ただ今、主人の御房は旅に出て不在でござりますし、さような若僧(にゃくそう)も見かけませぬゆえ、どうぞ御無用になされませ」
「裏方、そう仰っしゃられると、吾らはよけいに邪推をまわしたくなる。主人の御房が留守であろうと、在(おわ)そうと、それはおのずから別問題じゃ。実をいえば、その附近へ逃げこんだに違いないその傷(て)負(お)いというのは、裏方とはご縁の浅くない吉水禅房の末輩で、法然房が叡山へ諜者(ちょうじゃ)に放った人間なのじゃ」
「…………」
玉日が、歩かけると、喋舌(しゃべ)っていたその法師は、先へ廻って、薙刀(なぎなた)の柄(え)をわざと横に構え、
「お手間はとらせまい」と、いった。
玉日は、貴族的な高い気位を知らぬ間に眉にも態度にもあらわしていた。
下司(げす)を見くだす眸でじっと二人を凝視した。
「ははは、お怒りか」
黄色い歯がまた飛出す。
だが、法師の一人は絶えずうさんくさそうに草庵の方をみるのである。
玉日は、是非の判断なくいいきってしまった言葉のてまえ、その狡(こう)智(ち)な眼が怖くもあり、なんとしても防がなければならない気持に駆られた。
「半分実をいって、半分いわずにおいては、なにやら胸(むな)つかえがしてならん。事のついでになにもかも吐いてお聞かせするがの、裏方」
顔を近づけてきて唾(つば)まじりにいうではないか。
玉日は、忌(いま)わしさに、体がふるえた。
息までが臭い気のする作法知らずの山法師である。
「その傷(て)負(お)いの男、名は実性(じっしょう)というのじゃ。山門の僉(せん)議(ぎ)を盗み聞きしている折を看破する者あって、半死半生にしてくれたが、後で、一山の大衆(だいしゅ)がいうには、あのまま逃がしたるこそ残念、生(い)け擒(ど)っておいたなら、朝廷へ上訴の折には、よい生き証拠であるものをと――後から出た智恵じゃ、それからの手分(てわ)けとなって、谷間谷間麓(ふもと)から白河のあたり、隈(くま)なくたずねて来たのでおざるよ。
――するとな、仏神のおみちびきといおうか、誰か、川の下流(しも)へうっすら血のような物を洗いながした者がある。来てみると、おんもとがここにおられた。
……ははは、まさか血しおを洗われたのではあるまい。したが、一応は吾らにその謎を明白にしてもらわにゃならん。さもなくば、足もつかれたところ、草庵のご縁先で白湯(さゆ)なりと一服いただこうか――」