親鸞 2015年6月1日

一人の侍女(かしずき)は、勝手元で朝(あさ)餉(げ)の後の水仕事をしている。

玉日は、持仏堂や、居室の掃除を、日課としている。

また、良人のものの濯衣(すすぎ)なども、すべて馴れないながら自分の手ですることに努めていた。

ゆうべ、実性の傷口の手当をしてやった折に、彼女は朝になって、自分の小袖が血しおでよごれているのに気づいた。

それを脱ぎかえて、草庵の裏の川へ、洗い物をしに出たのである。

吉岡の崗(おか)から白河へ落ちてゆくそこの流れも、冬のうちは氷が張りつめていて、なにをするにも、手の切れるような冷たさであったが、もう水も温(ぬる)んで、春の樹洩(こも)れ陽(び)は衣(きぬ)を洗う彼女の白い手に傷々(いたいた)しくなくこぼれている。

小袖についていた血の汚染(しみ)は、はやい瀬の水に淡(うす)い脂(あぶら)をひろげてすぐ消えて行った。

「今朝は、どんな容態であろうか」

彼女は、今も、怪我(けが)人(にん)の生命(いのち)がふと気がかりになっていた。

――それと共に、社会の浄土化を願う以外に使命のないはずである僧門の同士が、こういう生々(なまなま)しい鮮血をながして、争わなければならない理由がわからなかった。

僧門のうちだけは、すくなくとも、闘争や陥穽(かんせい)の実社会とはちがって、浄(きよ)く、気高く、和気(わき)藹々(あいあい)として生活の楽しめる世界であろう――と彼女は善信に嫁(とつ)ぐ日まで信じていたのである。

嫁いだ翌日から、その想像は裏切られ、僧門の世界も社会の一部でしかないことを、彼女は、事ごとに見せつけられてきた。

それを悲しんでいれば、毎日が悲しみでなければならないほどに――

だが、つらつら考えてみると、自分自身ですら、決して、新妻でありまた菩(ぼ)薩(さつ)であることはできにくいことであった。

嫉妬――ひがみ――情痴――さまざまなものを持った世間なみの妻でしかあり得ないのである。

「どうして、人間というものは、こういう悩み争いに、この楽しめる世を楽しまずに、血みどろに暮さねばならないのか」

そんなことを考えながら、流れに濯(すす)いだ衣(きぬ)をしぼっていると、その向う側の道を誰か歩いてくるらしい跫音なのである。

「女」そう呼ばれて、彼女は初めて、顔を上げた。

明らかに、それは叡山の法師たちに違いないのである、特徴のある法衣(ころも)の裾(すそ)を短かに着、手に薙刀(なぎなた)をかかえている、二人づれで、川の向う側に突っ立っているのだ。

「なんぞ、御用事か」

玉日が答えると、二人の法師は、彼女のそういった言葉や身ごなしに、ただならぬ気品を感じたものであろう、ちょっと、口をつぐんで、じっとこちらを見直している。

「…………」二人はなにか囁(ささや)いていた。

おそらく、玉日の面(おも)ざしから、広い京都にも稀れな美を射られて、惑ったり、考え直したりしているものと見える、ぶしつけに、いきなり「女」と呼んだことを狼狽しているふうにも取れる。

しばらくして、法師の一方が、

「あいや」といい直した。

「失礼でござるが、おんもとには、九条家から善信御房へ嫁がれた玉日姫でおわすか」

「はい……」

やはりそうだった、というように法師二人はまた、顔を見あわせてなにか笑っていた。