親鸞 2015年10月22日

唱名の声がしている間は、その唱名の声に威圧され、今また、その声が糸の切れたようにぷつと止むと天城四郎は、

「?……」

ハッと身を竦(すく)ませた。

「気(け)どられたかな?」

彼は、いつもの不敵なたましいを失って、疑心暗鬼の眼を、床下から上げた。

すると――案のじょうである。

廊下のうえをギシギシと誰か踏む音がした。

そして、戸の開く音がしたと思うと、

「たわけ者っ」

外へ向って一喝した者がある。

錆(さび)のある太い坂東声だ。

四郎は、ぎょっとして、息を嚥(の)んだ。

僧房とはいえ、吉水の門下には熊谷蓮生房(くまがいれんしょうぼう)とよぶ関東武者の果てや、その他、源平の役(えき)で働いた名だたる侍の末が幾人も剃髪(ていはつ)しているとはかねて聞き及ぶ所である。

(――そんな奴に捕(つかま)っては)首をすくめて、(駄目だ)ついに、気を挫(くじ)いてしまった。

それから二日ほど経った白昼である。

冬も、昼中は暖かかった。

上人はまた、病中の由で、きょうはお顔が拝まれまいと噂していたが、吉水の法筵(ほうえん)に、老幼にもわかるようなやさしい法話の会があると聞いて、ぞろぞろと、在家の人々が集まった。

つい四、五年前までは、そういう法話を催しても、百人か二百人がせいぜいしか寄らなかったが、近ごろでは、吉水に幾日の日にと、分りさえすれば、洛外の遠い土地から、百姓たちまでが、話を聞きに来るので、講堂や僧房の全部をあげて、その日は、民衆たちへ開放することになっていた。

「ほう?……銭が要らぬことと思って……閑人(ひまじん)がよく寄って来やがる」

四郎は、一般の聴衆の中にまじって、大あぐらをかいていた。

――それでも、多少は気がひけるとみえ、なるべく、他人の背中を楯にして、講壇のほうから直接自分の顔が見えないように注意していた。

元より、説教を聞こうなどという意志は少しもない。

彼は、眼ばかりうごかしていた。

足がしびれると、すぐ立って、縁へ出て、

「う、あ、ワあ……」

と、欠伸(あくび)をする。

また、用ありげに、僧房の中を、うろうろ歩き廻った。

わざと、道をまちがえた振りをして、台所のほうへまで、歩いて行った。

「いねえな。どう嗅いでも、ここには女のにおいがしねえわい。やはり、吉水には匿(かくま)われていねえとみえる」

彼は弁円のことばが、腹立たしくなって、

「あの野郎、とんだ無駄骨をさせやがった……」

と、恨んだ。

見限(みき)りをつけて帰ろうと思ったが、禅房の門まで人がいっぱいなのである。

それに、何となく気懶(けだる)くもあったので、彼はまた、人混みの中に坐りこんで、ケロリとした顔をしていた。

法然門の人々が次々に出て、代る代るに、念仏門の教えを説いている。

聴者は、咳声(しわぶき)もしないで熱心に聞き入っていた。

四郎は、そういう人々を見まわして、

「何がいったい面白くて?――」

と、不思議な顔をした。

そのうちに、彼は眠くなってしまった。

南縁の猫のように、眼を細め、涎(よだれ)をながして、こくりこくり居眠り始めた。