唱名の声がしている間は、その唱名の声に威圧され、今また、その声が糸の切れたようにぷつと止むと天城四郎は、
「?……」
ハッと身を竦(すく)ませた。
「気(け)どられたかな?」
彼は、いつもの不敵なたましいを失って、疑心暗鬼の眼を、床下から上げた。
すると――案のじょうである。
廊下のうえをギシギシと誰か踏む音がした。
そして、戸の開く音がしたと思うと、
「たわけ者っ」
外へ向って一喝した者がある。
錆(さび)のある太い坂東声だ。
四郎は、ぎょっとして、息を嚥(の)んだ。
僧房とはいえ、吉水の門下には熊谷蓮生房(くまがいれんしょうぼう)とよぶ関東武者の果てや、その他、源平の役(えき)で働いた名だたる侍の末が幾人も剃髪(ていはつ)しているとはかねて聞き及ぶ所である。
(――そんな奴に捕(つかま)っては)首をすくめて、(駄目だ)ついに、気を挫(くじ)いてしまった。
それから二日ほど経った白昼である。
冬も、昼中は暖かかった。
上人はまた、病中の由で、きょうはお顔が拝まれまいと噂していたが、吉水の法筵(ほうえん)に、老幼にもわかるようなやさしい法話の会があると聞いて、ぞろぞろと、在家の人々が集まった。
つい四、五年前までは、そういう法話を催しても、百人か二百人がせいぜいしか寄らなかったが、近ごろでは、吉水に幾日の日にと、分りさえすれば、洛外の遠い土地から、百姓たちまでが、話を聞きに来るので、講堂や僧房の全部をあげて、その日は、民衆たちへ開放することになっていた。
「ほう?……銭が要らぬことと思って……閑人(ひまじん)がよく寄って来やがる」
四郎は、一般の聴衆の中にまじって、大あぐらをかいていた。
――それでも、多少は気がひけるとみえ、なるべく、他人の背中を楯にして、講壇のほうから直接自分の顔が見えないように注意していた。
元より、説教を聞こうなどという意志は少しもない。
彼は、眼ばかりうごかしていた。
足がしびれると、すぐ立って、縁へ出て、
「う、あ、ワあ……」
と、欠伸(あくび)をする。
また、用ありげに、僧房の中を、うろうろ歩き廻った。
わざと、道をまちがえた振りをして、台所のほうへまで、歩いて行った。
「いねえな。どう嗅いでも、ここには女のにおいがしねえわい。やはり、吉水には匿(かくま)われていねえとみえる」
彼は弁円のことばが、腹立たしくなって、
「あの野郎、とんだ無駄骨をさせやがった……」
と、恨んだ。
見限(みき)りをつけて帰ろうと思ったが、禅房の門まで人がいっぱいなのである。
それに、何となく気懶(けだる)くもあったので、彼はまた、人混みの中に坐りこんで、ケロリとした顔をしていた。
法然門の人々が次々に出て、代る代るに、念仏門の教えを説いている。
聴者は、咳声(しわぶき)もしないで熱心に聞き入っていた。
四郎は、そういう人々を見まわして、
「何がいったい面白くて?――」
と、不思議な顔をした。
そのうちに、彼は眠くなってしまった。
南縁の猫のように、眼を細め、涎(よだれ)をながして、こくりこくり居眠り始めた。