親鸞 2016年2月25日

心境に大きな変化が起っていたのである。

たえまなく自己を考え、また真理を究握しようとしてやまない善信の内省のうちに、このごろ、ふと、今も生信房にいったような気持がたしかにわいてきている。

「……おもうてみると、自力聖道の門から他力易行の道へかかるまで、そのあいだの幾多のまよい、もだえ、苦行、またよろこびなど、三十九歳の今日となって、振りかえってみれば、実にただ愚の一字でつきる。おろかしや――われながら今、その愚かさにおどろかれる」

つぶやくように、善信はいうのである。

師のことばに、生信房はおのずと頭(かしら)が下がった。

そして、賢(さか)しくも、自分などが近ごろ、やや念仏門の真実がわかったような顔をしていることが、恥かしくなった。

善信は、なおいう。

「このごろ、しみじみとわしは自分がわかってきたような気がする。

――飽くまで凡夫を出でない人間じゃと。

――さきの夜、あの生信房がいうのを聞くにつけて思いあわせられたのが。

極悪無道の大盗四郎であった彼が、たちまち、なんの苦行や迷いや悶えもなく、嬰児(あかご)が這って立つように、素直に念仏を体得している様を見ると、そこに、凡夫直入(じきにゅう)念仏門の真理が手近にある。

――三十年の懊悩をみぐるしゅう経てきたわしと、ついきのう念仏に帰依した生信房と――較べてみよ、どれほどの差があろうぞ。

……わしはむしろ彼に教えられている。

わしも本体の愚のすがたに帰ろうと思うのじゃ。

そして、いっそう真(まこと)の念仏を――凡夫直入の手びきしようと存ずる。

――名も今日よりは、愚禿(ぐとく)とかえる。

昨夜ふと真如の月を仰ぎながら、親鸞(しんらん)という名よいと思うたゆえ、その二つを合わせ、愚禿親鸞と改めた。

――愚禿親鸞、なんとふさわしかろうか」

「はい……」

生信房もふかい内省にひき込まれていた。

それ以上答えができなかった。

冬になる。

やがて――春がくる。

伸びた黒髪に、網代(あじろ)の笠をかぶって、親鸞はよく町へ出て行く。

着のみ着のままの破れ法衣(やれごろも)――見るからに配所の人らしくいぶせかった。

だが、彼の頬には、いつも誰に対しても、人なつこい親しみぶかい、愚禿の微笑みがかがやいていた。

国府(こう)を中心にして、新川や頸城(くびき)あたりから、ある時は、赤石、小田の浜の地方まで、親鸞は、ひょうひょうと布教にあるいた。

彼のすがたが、道の彼方から来るのをみかけると、

「おお、愚禿さまがお出でだ」

「お上人がおいでだぞい」

浜の童(わらべ)も、畑の女たちも、彼を見知っていて、彼をとり巻いた。

「きょうは、なんのお話をしようかの」

と、親鸞は、畑にも、砂の丘にも、坐りこんだ。

彼の坐るところには、手をあげて呼ばなくても、人が集まってくる。

いつのまにか、一家族のような丸い輪になるのだ。

「この間の法話も、もういちどお聞かせしてくらっせ」

仏の法話を、漁民も農夫も、聞くのを楽しんだ。

なぜならば、親鸞の話は、誰にもよくわかったし、このお上人様は、自分だちへ高僧として臨むのでなく、まるで友達のようになって、親しく、なんでも教えてくれるからであった。

*「いぶせかった」=むさくるしかった。うっとおしかった。