心境に大きな変化が起っていたのである。
たえまなく自己を考え、また真理を究握しようとしてやまない善信の内省のうちに、このごろ、ふと、今も生信房にいったような気持がたしかにわいてきている。
「……おもうてみると、自力聖道の門から他力易行の道へかかるまで、そのあいだの幾多のまよい、もだえ、苦行、またよろこびなど、三十九歳の今日となって、振りかえってみれば、実にただ愚の一字でつきる。おろかしや――われながら今、その愚かさにおどろかれる」
つぶやくように、善信はいうのである。
師のことばに、生信房はおのずと頭(かしら)が下がった。
そして、賢(さか)しくも、自分などが近ごろ、やや念仏門の真実がわかったような顔をしていることが、恥かしくなった。
善信は、なおいう。
「このごろ、しみじみとわしは自分がわかってきたような気がする。
――飽くまで凡夫を出でない人間じゃと。
――さきの夜、あの生信房がいうのを聞くにつけて思いあわせられたのが。
極悪無道の大盗四郎であった彼が、たちまち、なんの苦行や迷いや悶えもなく、嬰児(あかご)が這って立つように、素直に念仏を体得している様を見ると、そこに、凡夫直入(じきにゅう)念仏門の真理が手近にある。
――三十年の懊悩をみぐるしゅう経てきたわしと、ついきのう念仏に帰依した生信房と――較べてみよ、どれほどの差があろうぞ。
……わしはむしろ彼に教えられている。
わしも本体の愚のすがたに帰ろうと思うのじゃ。
そして、いっそう真(まこと)の念仏を――凡夫直入の手びきしようと存ずる。
――名も今日よりは、愚禿(ぐとく)とかえる。
昨夜ふと真如の月を仰ぎながら、親鸞(しんらん)という名よいと思うたゆえ、その二つを合わせ、愚禿親鸞と改めた。
――愚禿親鸞、なんとふさわしかろうか」
「はい……」
生信房もふかい内省にひき込まれていた。
それ以上答えができなかった。
冬になる。
やがて――春がくる。
伸びた黒髪に、網代(あじろ)の笠をかぶって、親鸞はよく町へ出て行く。
着のみ着のままの破れ法衣(やれごろも)――見るからに配所の人らしくいぶせかった。
だが、彼の頬には、いつも誰に対しても、人なつこい親しみぶかい、愚禿の微笑みがかがやいていた。
国府(こう)を中心にして、新川や頸城(くびき)あたりから、ある時は、赤石、小田の浜の地方まで、親鸞は、ひょうひょうと布教にあるいた。
彼のすがたが、道の彼方から来るのをみかけると、
「おお、愚禿さまがお出でだ」
「お上人がおいでだぞい」
浜の童(わらべ)も、畑の女たちも、彼を見知っていて、彼をとり巻いた。
「きょうは、なんのお話をしようかの」
と、親鸞は、畑にも、砂の丘にも、坐りこんだ。
彼の坐るところには、手をあげて呼ばなくても、人が集まってくる。
いつのまにか、一家族のような丸い輪になるのだ。
「この間の法話も、もういちどお聞かせしてくらっせ」
仏の法話を、漁民も農夫も、聞くのを楽しんだ。
なぜならば、親鸞の話は、誰にもよくわかったし、このお上人様は、自分だちへ高僧として臨むのでなく、まるで友達のようになって、親しく、なんでも教えてくれるからであった。
*「いぶせかった」=むさくるしかった。うっとおしかった。