この四日に亡くなりました父のことを少しお話ししたいと思います。
父は鹿児島の出身で、大竜小学校を出て、その後一中にいって慶応大学の医学部にいきました。
それから八十三歳まで現役で医者をして、八十六歳で亡くなりました。
父は「老人の気持ちは老人しかわからない」といって、老人医療を中心に頑張っておりました。
そして、
「自分がこの年で頑張るということが、周りのご老人たちに希望を与える。だから、自分が頑張れるかぎりは頑張るんだ」
というふうに、自分の信念に従って生きていました。
ちょうど父が七十二歳の誕生日のとき、七人の孫たちに、ニ十歳になったら開けるようにというようなプレゼントをわたしておりました。
男の孫にはネクタイピン、女の孫には真珠のネックレスでした。
二年前、長女が二十歳になったとき開けましたら、プレゼントと一緒にカードが添えてありました。
そのカードを父の葬式のときに長女が読んだんです。
「この命は限りあり。
されど主の命は永遠なり。
末永くお互い仲良く美しく。
願わくはこの記念品が代々伝えられんことを。
健康第一。
広い視野のもと、正々堂々と筋を通せ。
順を踏め。
なにくそ頑張れ。
六周りの辰年の誕生日、一九八八年八月十日」。
今日のテーマであります「命のバトンタッチ」に、まさにふさわしい言葉だと思いましたので、手前ミソではありますが紹介させていただきました。
私たちが何を子どもたちに残していくかということは、立派な家でも、豪華な車でも、ましてやお金でもないような気がします。
やはり自分の思いや気持ちを、いかに子どもに残していくかということが大切なのではないかなと思います。
私の友人が、昨年テレビで美輪明宏さんが出ていたのを見て、そのときの模様を私に教えてくれました。
そこで美輪さんは、
「今の日本の若者は、日本の歴史上もっとも不幸な時代を生きている。それは、手本となる大人がいないからだ」
というふうに言っていたそうです。
「手本となる」ということは、特に大人の男だと思いますけど、涙をためながら話していたそうです。
また
「道端に座っている若者を見ると、涙が出てくる。だれかがこの子たちを指導してくれないのだろうか」
というふうにも話していたそうです。
マラソンの高橋尚子を育てた小出義雄監督は、
「選手は監督やコーチの言う通りには育たない。監督やコーチのしている通りに育つ」
というように言っております。
まさに美輪さんの言葉と通じるものがありますね。
最近私は、このような会や文章で「晩節を汚すなかれ」という言葉をよく使っております。
この言葉も死語になりつつありますが、自分の晩節はどうなんだろうと考えます。
私は今年五十歳になりまして、残りの人生、晩節を汚すことなく生きていけるかどうかということを、やはり自分で大切にしていきたいと思います。
今の時代は、本当に自分の晩節を汚す方が多いように思います。
そごうの会長や薬害エイズのドクターのように、いろんな方が年をとってから醜悪な顔をテレビで見せる。
それを見た若者たちは、だれを信じて生きていけばいいのかと感じるでしょう。
それは当然のことだと思います。
自分の家庭でお孫さんたちに対して、自分が晩節を汚すことなく、すがすがしい顔で接することができるかということを、自らに問うことがとても大切だと思います。
社会で晩節を汚している人は、おそらく家庭の中でもきっと尊敬されず、その家庭では命のバトンタッチがなされずにいっているのではないかと思います。
「命のバトンタッチ」というのは、ただ単に、命が親から子や孫へとつながっていくというだけでなく、心がバトンタッチされていくということが、本当の意味での「命のバトンタッチ」だと思います。