親鸞 2016年7月7日

かすみの上に、妙義の山の峨々(がが)とした影が、淡(うす)むらさきに眺められた。

碓氷川の水にそって、松井田をすぎ、四辻という部落まで来ると、

「おや」摺れちがった一人の旅僧が、踵(きびす)を回(かえ)してきて、

「もし――」と、声をかけた。

親鸞と弟子たちの五名も、その旅僧のすがたが、念仏僧らしかったので、何とはなく、振向いている所だった。

「オオ!」

眸(め)と眸を見合すと、旅僧は飛びつくように、親鸞の脚もとへ来て、

「もしや、あなた様は、越後路からご上洛の途中にある親鸞御房ではござりませぬか」といった。

親鸞は、見忘れていたが、西仏は思い出して、

「あっ、そう仰っしゃるは、明智房ではないか」

「おお、西仏御房か。……あやうくお見違え申すところでした」

「久しいのう。これにおいであそばすは師の上人じゃ」

「では、やはり」

と、明智房は、あわててそこへ両手をつかえかけた。

――が、人々に誘(いざ)なわれて、傍らの地蔵堂の縁へ寄り、思い思いに足をやすめた。

親鸞は彼にたずねた。

「おもとには、何ぞ、都のたよりを聞いておられぬか。何より知りたいのは、師の法然御房の消息じゃが」

「さ……そのことでござります。実は私は、念仏停止のため、都を追い払われてから、この先の赤城の麓に草庵をかまえておりましたが、このほど、恩師法然様が讃岐よりご帰洛と聞いて、すぐ都へ馳せ上り、そしてまたも、この地へ帰ってきたばかりの所でございます」

「ホ……恩師ご帰洛のために、都へ上ってお帰りの途中とか。……それは、よい者に会いました。――して法然様には、都へご安着の後、いずれにお渡りあらせてか。元の吉水にお住いか、それともほかに」

親鸞の懐かしむ様子に、

「ちょっとお待ち下さい」

と、明智房は、暗い顔をして、うつ向いた。

「……その儀につきまして、実は、都において席のあたたまる遑(いとま)もなく、あなた様へ、お使いを齎(もたら)すために、私はすぐ東海道をいそいで下ってきたのでございます。――あなた様のご一行が、木曾路の雪に引っ返して、碓氷へ出たという善光寺からの便りを手にいたしましたので」

「え?」

親鸞は、いぶかしげな眼をみはって、

「――では、おもとが下られたのは、この親鸞へ、お使いのためにですか」

「そうです」

「師の法然様から?」

「いえ――」

と、明智房は、いよいよいい難(にく)そうであったが、

「法然上人からではございませぬ。――安居院(あごい)の聖覚法印から」

といって、あわて旅包みを解き初めた。

そして、取り出した一通を、親鸞の手へ差し出すと、

「仔細は、このお文に」

と、口をつぐみ、そのまま、後へ退がって、ぱらぱらとこぼれる松の雫を背に浴びていた。

*「碓氷川(うすいがわ)」=群馬、長野両県境の碓氷峠(笛吹峠)に発し、高崎市の西にいたり利根川の一支流烏川(からすがわ)に入る。流程約四十キロ。古くは笛吹川(うすいがわ)とも書いた。

*「松井田(まついだ)」=群馬県碓氷郡東部、旧中山道の宿場。名跡志には、松井田、また松枝(まつえだ)と書かれている。