かすみの上に、妙義の山の峨々(がが)とした影が、淡(うす)むらさきに眺められた。
碓氷川の水にそって、松井田をすぎ、四辻という部落まで来ると、
「おや」摺れちがった一人の旅僧が、踵(きびす)を回(かえ)してきて、
「もし――」と、声をかけた。
親鸞と弟子たちの五名も、その旅僧のすがたが、念仏僧らしかったので、何とはなく、振向いている所だった。
「オオ!」
眸(め)と眸を見合すと、旅僧は飛びつくように、親鸞の脚もとへ来て、
「もしや、あなた様は、越後路からご上洛の途中にある親鸞御房ではござりませぬか」といった。
親鸞は、見忘れていたが、西仏は思い出して、
「あっ、そう仰っしゃるは、明智房ではないか」
「おお、西仏御房か。……あやうくお見違え申すところでした」
「久しいのう。これにおいであそばすは師の上人じゃ」
「では、やはり」
と、明智房は、あわててそこへ両手をつかえかけた。
――が、人々に誘(いざ)なわれて、傍らの地蔵堂の縁へ寄り、思い思いに足をやすめた。
親鸞は彼にたずねた。
「おもとには、何ぞ、都のたよりを聞いておられぬか。何より知りたいのは、師の法然御房の消息じゃが」
「さ……そのことでござります。実は私は、念仏停止のため、都を追い払われてから、この先の赤城の麓に草庵をかまえておりましたが、このほど、恩師法然様が讃岐よりご帰洛と聞いて、すぐ都へ馳せ上り、そしてまたも、この地へ帰ってきたばかりの所でございます」
「ホ……恩師ご帰洛のために、都へ上ってお帰りの途中とか。……それは、よい者に会いました。――して法然様には、都へご安着の後、いずれにお渡りあらせてか。元の吉水にお住いか、それともほかに」
親鸞の懐かしむ様子に、
「ちょっとお待ち下さい」
と、明智房は、暗い顔をして、うつ向いた。
「……その儀につきまして、実は、都において席のあたたまる遑(いとま)もなく、あなた様へ、お使いを齎(もたら)すために、私はすぐ東海道をいそいで下ってきたのでございます。――あなた様のご一行が、木曾路の雪に引っ返して、碓氷へ出たという善光寺からの便りを手にいたしましたので」
「え?」
親鸞は、いぶかしげな眼をみはって、
「――では、おもとが下られたのは、この親鸞へ、お使いのためにですか」
「そうです」
「師の法然様から?」
「いえ――」
と、明智房は、いよいよいい難(にく)そうであったが、
「法然上人からではございませぬ。――安居院(あごい)の聖覚法印から」
といって、あわて旅包みを解き初めた。
そして、取り出した一通を、親鸞の手へ差し出すと、
「仔細は、このお文に」
と、口をつぐみ、そのまま、後へ退がって、ぱらぱらとこぼれる松の雫を背に浴びていた。
*「碓氷川(うすいがわ)」=群馬、長野両県境の碓氷峠(笛吹峠)に発し、高崎市の西にいたり利根川の一支流烏川(からすがわ)に入る。流程約四十キロ。古くは笛吹川(うすいがわ)とも書いた。
*「松井田(まついだ)」=群馬県碓氷郡東部、旧中山道の宿場。名跡志には、松井田、また松枝(まつえだ)と書かれている。