こんな生き方の理論があるんです。
まず、活動理論といって、元気なうちはずっと働いて、そしてお亡くなりになる。
次に離脱。
老年者観に関係あるんですが、離脱というのは後輩に譲ってご隠居する。
定年制賛成という方ですね。
三番目は連続理論。
これが大事なんです。
仕事を続けるとか続けないとか、それは生れてから今までいろんなことを築いてきたその人自身が決めることです。
ですから、仕事を続けていきたい人は仕事してもいいし、仕事をやめたい人は仕事をやめても構わないんです。
生きているということをちゃんと実感して生きればいいんです。
そして、身体は衰退するけれども、年を取るからといって成長・発達をしないということはありません。
人間は、ずっと連続して発達し続けているのです。
そして、みんな、より良く生きたいという発達の過程にあるんです。
このとらえ方です。
こう考えた時に、憎しみとか、この人だけは面倒みたくないとか、この人には看てもらいたくないという感情が引いてくるんじゃないかと思うんです。
昨日よりも今日はいい日でありますように。
せめて昨日も無事だったから今日も無事でありますように。
このような考え方は、時には老年者の自立となります。
生活が自立し、人に頼らないようになる。
また、時には依存にもなります。
「ちょっと腰が痛いから、雨が降ってるからあんた行ってくれんね」
と…。
この自立と依存を使い分けながら、私たちは動いております。
ただ、極端に自立しようと頑張らなくても、自分の人格を発達させているんです。
この人格は他人に変わることが出来ません。
だから、人格を大事にしてあげないといけないんです。
このことをきちんと押さえておかないと、差別意識を持ったり、お金持ちの人にペコペコしたりするんです。
そして、自分自身は自分だということも、しっかり持っておかないといけないと思います。
また、全体論的見方と言いますが、誰々の知り合いとかお友だちとか、生きている間にどんどん膨らんでいきます。
それ全体がこの人なんです。
その人の生きざま。
その全体をひっくるめて対等に介護をするから、すごく学びになるということです。
老年者観というのを全体論的な視野で見るんですね。
全てをひっくるめて見るということです。
若いときからそんなに考えなくてもいいけど、ただ自分の人格を発達させながら、こんなの人格の発達も成し遂げてずっと生きているんだと。
以前この話をした時、施設で働いている看護士の方だっと思いますが、
「意識がなくて、注入食を入れている人も人格があるんですか。
発達してるんですか」
と聞かれたことがあります。
さて、何と答えようかと思いましたが、私はあわてることなくアドリブを利かして、すぐ
「はい、あります。
さっき人格はあなた自身のものですから変わることができないと言ったけど、意識のない人も周りの人に影響を与えながら生きているわけですよね。
だから、周りの人たちにとって、その人は非常に大事な人なんです」
と答えました。