すべてが自分の心から映して、心を恐怖させたり、呪わせたりしていた錯覚だった。
水に映っていた形相の悪い影だった。
平次郎は、水に返った。
まだ澄みきったそれにはなれないが、本来の性(しょう)が心の底から湧きあがって、
「すまない……お吉……すまなかった……」
両手をついて、自分の妻へいったのである。
お吉は、夫婦となってから、初めて良人の口から、こんな真実の声を聞いた。
「あれ……勿体ない」
良人の手をすくい取って、
「女房に向って、すむもすまぬもござんせぬ。その詫びなら、なぜ、わたしよりも、御仏さまへいうては下さいませぬか」
「? ……」
平次郎は、唖(おし)のように、黙ってしまった。
慚愧にふくれあがっている額(ひたい)の青すじが、彼の性格の中でありありと苦悶していた。
「のう、お前さま」
お吉は、今こそ、良人の年来の気もちをここで一転させようとするのだった。
「? ……」
だが、平次郎は、うなずかなかった。
じっと、圧(お)し黙っている。
強情な一徹な気性を、さながら二つの拳にあらわして、膝にかためたまま、黙っている。
「のう……」
お吉のやさしい耳元のささやきにも答えないで。
前には、上人がいる。
弟子たちがいる。
また、城主、郡司、その臣下、そして、集まっている無数の民衆がいる。
そのすべてが、仏の帰依者である。
けれど、平次郎にはまだ、
(ウム)と、素直にいえないらしい。
なぜ。
それを平次郎は今、あたりの人々に憚(はばか)って口にいえないらしかったが、彼の気持をもし率直にいわせるならば、
(仏なんてない)と、自分に教えたのは、仏に仕える人であり、
(神もない)と、自分の頭脳(あたま)へ沁みこませた人も、また、神に仕える人だったのである。
彼が、お吉との間にもうけた愛児は、ない神をあるように思い、ない仏をあるように信じたから、死なしてしまったのだと考えていた。
いいかげんな僧侶だの、怪しげな山伏だの、そういう類(たぐい)の者に信仰へ導かれて、彼は、たった一人の可愛い子を死なすために、夫婦して、食べる物も食べず、着るものも着ず、稼いだ金や、ささやかな蓄えを、みんなそれらの祈祷料だのなんだのに捧げてしまったのである。
そのあげく、子は死んだ。
お神札(ふだ)だの、お水だの、仏壇だの、なんだの、すべては彼の眼に忌わしく見える物を、一抱えも持って行って、溝川へ芥(ごみ)のように打ちすててしまった時に、平次郎は、
「――笑わかしゃアがる、これで罰があてられるものならあててみろ」
と、天へ向って罵った。
それからは、
(神だと、仏がだと、ふふん……)彼の性格は、また信念は、そうなってしまった。
誰にだって、彼は、そう信じていることでは、退かずにいい争ったものである。
――だた、親鸞だけは、さっきから、なんとなくべつもののような気はしていた。