「感動とはどういうことか」(中旬)アメーバみたい

先日もまとめて放送されていましたが、「北の国から」というテレビドラマ、これは北の大地のまっ真ん中でいろんな物語が展開されるんですけど、感動した場面は忘れないわけですから、「北の国から」の感動の場面は私の頭の中に全部入っています。

純君という男の子がトラックに乗って東京へ出掛けるときに、運転手さんが

「お前の親父が置いていった。おれはこんなもん受け取れねえよ。見てみろ」。

純君が取り出すと、一万円札が二枚出てきて、その隅っこに土が付いてた。

親父の土だと。

あの場面をみるとたまりませんね。

感受性といいますか、やっぱり土とかそういうものに日本人は弱いですね。

甲子園で泥んこになっている野球少年を見ても感じるところがありますが、土の付いた一万円札…脚本の倉本聡さんは達者ですね。

土はやっぱり自然なんです。

イラクで起きている戦争のことで、ときどき思うことがあります。

宇宙が出来上がったのは百八十億年も昔、人類が誕生したのはたかだか五百万年前っていいますよね。

宇宙はすでに宇宙として二十四時間機能したとすれば、人間が生まれたのはつい一秒前、そのぐらい差があるということなんです。

つまり、宇宙から見た人間なんて出来たてのホヤホヤなんですよ。

なぜ人間が生まれたのかっていうことについては、NASAや宇宙物理の専門家が研究していることですが、おそらく太陽と地球との距離がちょっとでもずれていたとか、あるいは引力の法則の作用の仕方がちょっとでも変わっていたら、人間は立って歩く姿になっていなかったんじゃないか、アメーバみたいな生物にしかなっていなくて、ましてやこんなにしゃべっていろんなことが考えられる人間になどなっていなかたんじゃないか。

なぜ宇宙は百八十億年もかかって人間を生み出したのか。

それはやっぱり人間にこの宇宙を託す意思があるからじゃないのか。

それで自然が人間を創り出したんじゃないかと。

こういうふうに考えたらどうなんだろうという研究者もいます。

ところが、生まれたてのホヤホヤの人間が、まだまだこれから進化していかなければならない人間が、次から次へと殺りくを繰り返しています。

あるいは親が子を殺し、子どもが子どもを殺したり…。