なぜ家にお仏壇が必要なのですか?

「あたりまえ」の反対語を「ありがとう」と言うそうです。

「ありがとう」は漢字で書きますと、「有難う」、有ることが難しいと書きます。

「あたりまえ」と思っていたことが、よくよく見直してみると、有ることを難しくして成り立っていた、出来上がっていたという事に気づかされ、頭のさがったところを「ありがとう」というのでしょう。

日常生活の中で私たちが「あたりまえ」と感じていることは、実はそのほとんどが有ることが難しい、ありがたい多くのご縁によって出来上がっていることであると、仏さまの教えを聞かせていただく中で気づかされます。

私たちは毎朝目が覚め、体が動くことが当たり前だと思い込んで生活しております。

しかし、それは錯覚にすぎません。

朝、目を開けようと思っても、開かなくなる日が必ずやってきます。

それは今朝であっても何ら不思議なことではありません。

今朝目が覚めなくても、少しも不思議ではないのに、昨日までと同じように、私には思いも及ばない多くのおかげさまにより、今朝も目が開きました。

だから、朝、目が覚めたらまず仏さまにお礼参りをしてきたのです。

そして夕方には、明日はもう目が覚めないかもしれないけれど、ここまでこのいのちを有難うございます、と朝な夕なにそういういのちであると教えてくださった阿弥陀さまに手を合わせお念仏申してきた大切な場所が家庭の仏壇でもありました。

家庭のお仏壇はその家の家族にとって、そういう豊かな心を、感性を育んでいく大切な場所であると思います。