もう20年以上も前のことですが、
私には今でも心に残っている笑顔があります。
もうその方は生きてはいらっしゃいません。
でも、私はその方の笑顔を忘れません。
その方との出会いは、
私がビハーラ活動(※)の研修で、
熊本県のある高齢者福祉施設で二日間滞在した時のことでした。
介護や福祉の専門家でもないので、
いったい自分に何ができるのだろう、
利用者の皆さんから怒られるのではないか、
職員の方々にも迷惑をかけるのではないか、
そんな不安をいっぱい抱えて施設を訪問しました。
そんな不安だらけの研修会でしたが、
施設長先生の笑顔でスタートしました。
「みなさんはこの二日間、
特別なことをする必要はありませんよ。
とにかく利用者さんのそばにいてください。
お話を聴いたり、お話をしたりしてください。
きっと皆さんがそばに行くことを
利用者の方々も喜ばれますよ。」
施設長先生の言葉に少しほっとしながら、
それでもまだ緊張は取れていませんでした。
私は当時90歳の女性の方(Mさん)の部屋を訪問しました。
Mさんは何処の誰とも知らない私を
優しい笑顔と語りで迎えてくださいました。
「どこからおいでになられましたか?」
「鹿児島からです」
「それはまた遠いところからわざわざ、ご苦労様ですね」
それから、長い時間、会話が続きました。
もっとも会話というよりも、ほとんどMさんがお話をされたのですが。
生まれた所のこと、
結婚して現在の地に来たこと、
先立たれたお連れ合い様のこと
遠くにいる子どもさんのこと
そして、大好きな仏さまのこと
お話を聞きながら、Mさんのその優しい笑顔を見ながら
私の緊張はいつの間にかなくなっていっていました。
不謹慎な言い方かもしれませんが、
緊張どころか、楽しい時間を過ごしている自分に気づきました。
緊張あふれる場に見えていた居室が、
私が居ていい場所になっていました。
そうしてくださったのは、もちろんMさんでした。
一日目の研修が終わり、
その日のことを施設長先生や職員の方々、そして研修受講者と
夜中すぎまで語りあいました。
私は、施設長先生ともいっぱい話しました。
施設長先生は、
「僕はね、ほんとは慰問という言葉は好きじゃないんだ。
だって、ここにいる人はかわいそうな人じゃないからね。
大切な人生を生きている方々なんだ。
慰められなければならない方々じゃないよ。
だからね、僕はね、慰問じゃなくて遊びに来てください。
対等な人間関係だよね。
上から見るんじゃなくて。
大切な友だちに会いに来てくださいって言うんだよ。」
それまで、慰問という言葉に取り立てて疑問も持っていませんでしたが、
先生の言葉と、何よりも私を温かく大きく迎えてくださった
Mさんの笑顔と優しい心遣いを重ねてみて
「本当にそうだよなあ」と思いました。
翌日、その部屋を訪問することが楽しみでした。
また笑顔で迎えてくれたMさん。
今度はお礼に、大好きな仏さまの話もたくさんしました。
時間が来て、その部屋から退出するときに、
「気をつけてお帰りくださいね。
わざわざ私のために、ありがとうございました。」と
私が出ていくまで、ずっと手を合わせて拝んでくださっていました。
翌年また同じ施設で研修会がありました。
私はまたMさんに会えることも楽しみにしていました。
けれどももうMさんのお話を聞くことも、仏さまのお話をすることもできませんでした。
お亡くなりになっておられました。
私は今でも、施設や病院を訪問させていただくことがあります。
お話を聞かせていただいたり、
時には仏さまのお話をさせていただくこともあります。
そんな私の活動の根っこには、
Mさんの笑顔と心遣いがあります。
二度とお会いすることはできませんでしたが、
私の中に、あの笑顔は生き続けています。
※ビハーラ活動とは
ビハーラ活動は西本願寺が進める活動です。
「ビハーラ」という言葉はあまり聞きなれない言葉かもしれませんが、古代インドのことばで、「精舎・僧院」「身心の安らぎ・くつろぎ」「休息の場所」という意味があります。
もともとお寺とは「安らぎの場所」を意味していたのです。
本来仏教は、生・老・病・死の苦悩を課題とし、身心の安らぎをもたらすものでした。
聖徳太子が建立されたと伝えられる四天王寺には「四箇院」といって「敬田院」「施薬院」「療病院」「悲田院」が設立されており、仏教と医療や介護といった社会福祉は密接な関わりをもっていました。
現代では、医療・福祉・宗教はあまり連携がありませんが、できるだけ連携をはかって生・老・病・死の苦悩に寄り添っていこうとするのが、ビハーラ活動です。