四十四回
薩摩門徒が念仏を放棄しなかった理由(その2)
前稿で薩摩門徒が自治的結社=講=が日常的生活からの逃避の場所・癒しの場所となり魅力を覚えて積極的に講の活動に参加したことを指摘しました。
引きつづき「講」について考えてみましょう。
隠れ門徒にとって、講はたんに彼らだけの結社、組織であれば、それでは不十分でした。
彼らだけの組織であれば、それはたんなる徒党です。
講は、彼らを支配する藩の権力に等しいか、あるいはそれを凌ぐ大きな団体に所属することによって、権威あるものとなります。
例えば、現在におきましてもロータリーとかライオンズとかいった奉仕団体がありますが、そうした団体も世界的な組織の傘下にあることによって大きな権威と組織の安定がもたらされます。
このようにして、彼らの講もやはり大きな権威や、団体に所属することによって自分たちの組織も安定し、満足するものになりました。
そこで、薩摩の門徒は本願寺教団といった巨大な全国組織に積極的に参加し緊密な関係を希求したのでした。
それに加えて、その頂点にあります本願寺と直結する確かな証がなければなりません。
そのためには、講員の礼拝の対象であり拠りどころである御本尊とか親鸞聖人の御影とかあるいは蓮如上人の御影などは本願寺から下附された免物でなければなりませんでした。
また年中行事とか、法要の差定とか荘厳とか作法といったような宗教儀礼もやはり本願寺教団によって定められた通りでなければ満足できませんでした。
そこで、鹿児島の隠れ門徒たちも、細部にわたって本願寺の指導を求めたのでした。
また本願寺の鹿児島門徒に対する特別なお取り扱い(待遇)も十分に満足するものがあったろうかと思われます。
例えば鹿児島の門徒たちが本願寺に参拝した時は、「鴻の間」において接待するといったような規定が本願寺にありました。
そして、本願寺を通して仏教をはじめ、諸々の都の文化に接することにも魅力を憶えたことと思います。
鹿児島の隠れ門徒たちが執拗に本願寺との関係を求めた理由としてこのような世俗的要因も掲げてもいいのではないかと思いす。