早いもので、21世紀になって間もなく20年近くが過ぎようとしています。
子どもの頃「21世紀」というと、遥か遠い未来といった感じでしたが、「世紀末」という言葉が聞かれるようになったかと思ったら、あっという間に21世紀になり、それからもう20年近くになろうとしています。
ある機関が、21世紀になったとき、中学生に対して「21世紀という時代をどのように考えるか」というアンケートをとったところ、返って来た中で一番多かったのは「生活は便利になるが、その一方で暮らしにくい世の中になる」という答えだったそうです。
つまり、生活面ではパソコンやインターネットの普及、デジタル機器の進化などによって便利な世の中になるかもしれないが、人間として暮らしていくことにおいてはむしろ難しい、いわゆる「いのちのぬくもりのない社会」になると考える生徒が多かったようです。
確かに、どれほど便利で豊かな世の中になったとしても、いのちのぬくもりのない社会は生きづらいのではないかと思います。
また、自分がこの身に受けたいのちを輝かすこともなく、もどかしい思いを抱えたままその生を終えていかなければならないとしたら、人生のすべてが「空しかった」の一言に納まってしまうかもしれません。
では、いのちのぬくもりのない社会とは、具体的にはどのような社会なのでしょうか。
心理学用語のパーソナル・スペース(対人距離/他人に近付かれると不快に感じる空間)から造られたポータブル・テリトリーという言葉があります。
いわゆる「縄張り」のことで、動物は自分のにおいをすり込んだりして、ここまでは自分の領域だということを強く主張します。
そして、同じ仲間であっても、その領域内に入ってくるものがいると、懸命になって追い出しにかかります。
人間にも自分の家や部屋という領域がありますが、家の外に出ると、バスや電車の中とか街中にいるときは、そこは自分の領域ではなく公の場所だという意識が働くものです。
ところが、現代社会においては自分の領域をどこででも主張する人が見られるようになりました。
公共の場においても、あたかも自分の家や部屋にいるのと同じことを平然とするのです。
そして、動物と同じようにその自分の領域に他人が勝手に入ってくると、それを許せないと思って、動物と同じような行動をとってしまう姿が見られます。
車内暴力というのが、まさにこれです。
これは、他人に「高齢者に席を譲るように」と注意されたとか、「もっと席を詰めてほしい」と求められた等、その言葉の内容に腹を立てたから暴力に及んだのではありません。
自分の領域内にいるにもかかわらず、領域外から言葉をかけられて干渉されたことに怒りを感じて暴力をふるうのです。
それは、動物が自分のテリトリーに侵入してきたものに牙をむくのと同じです。
このような意味で、生活が便利になる一方で、人間はだんだん退化・動物化してきているのかもしれません。
それは言い換えると、自分自身の心の中に人を受け入れる心理的な許容量が減少してきているということです。
つまり、自分と自分の仲間だけしか認められず、関係ないもの、自分の気持ちに添わないものを受け入れる力が衰えてしまっているのです。
近年、子どもへの親の虐待が大きな社会問題化していますが、それは親の心理的許容量の狭さ、浅さに原因があるといわれています。
自分の思い通りにならない、自分の気分を害する存在が一緒にいるということがどうにも我慢がならず、暴力をふるってしまうことになるのだそうです。
また、あるマンションでは住民総会で小学生の保護者から「知らない人に挨拶されたら逃げるように教えているので、マンション内では挨拶をしないように決めてください。子どもにはどの人がマンションの住人か判断できない。教育上困ります」という提案があり、年配の方からも「挨拶をしても挨拶が返ってこないので気分が悪かった。お互いにやめましょう」という賛同意見があり、可決されたそうです。
この他、ある新聞の投書では、投稿者が交差点で信号待ちをしている時、ピカピカのランドセルを背負った女の子がやってきたので、「お帰りなさい。車に気を付けてお家に帰ってね」と、声をかけたところ、その女の子はランドセルに付けていた防犯ブザーを鳴らし、無言のまま逃げるように横断歩道を渡って行ったそうです。
投稿者は、見知らぬ人に声をかけられたらブザーを鳴らすようにと、家庭で言われているのだと想像すると共に「やはりおせっかいだっただろうか。自分では親切なことをしたと思っても、かえって、迷惑なことがあるのだと痛感させられた」と結んでいます。
私たちの生きている社会は、一人一人がスマホを手にし、多くの情報を取得・共有・発信したりすることかできるようになった他、交通・医療、その他多くの分野で便利で快適な生活を送れるようになりました。
けれども、その反面、21世紀の初頭に中学生が答えたように、なんとも生きづらい世の中になっていると言わざるを得ません。
だからこそ、いのちのぬくもりが感じられ、この身に受けたいのちを輝かすことのできる世の中にしていくことを願いつつ生きることが大切なのではないかと思います。