平成30年12月法話『人の世にいのちの温もりと輝きを』(後期)

寒くなってくると、食べるものにも温もりがほしくなるものですが、温かい食べ物の代表と言えば、さしずめ「鍋」といったところでしょうか。

さて、仏教では人間が育つためには四つの必要な食べ物があると教えていますが、これを「四食(しじき)」といいます。

 

➀ 「段食(だんじき)」

これは、私たちが毎日いただく、朝・昼・晩の食事のことです。

② 「識食(しきじき)」

これは、学ぶことです。学ぶことによって私たちは様々なことを知り、それによって職を得たりします。

③ 「触食(そくじき)」

これはふれあいのことです。人は愛情ある人間関係の中で育つことが大切です。食べ物や知識だけでは育ちません。人と関わる中で、思いやりや優しさとなど、人間として大切なことを学んでいきます。

④ 「思食(しじき)」

これは私のことを大切だと思ってくれている人がいるという実感です。親・兄弟・友人・先立っていった方々、そして仏さま…。自分は願いをかけられている身であると知ることで、人は安らぎや生きる勇気、喜びを感じるものです。

 

③の「触食」や④の「思食」は、ひとことで言えば「温もり」のことです。それは、人間を育ててくれるのは、知識や食べ物だけではないということです。そこに温かい人間関係や、自分のことを大切だと思ってくださる存在、そして願っていてくださる存在が必要不可欠だということでしょう。

今、リアルな世界での良好な人間関係を築けず、ネットの中に居場所を求める若者が増えています。しかし、いったん対面での人間関係から遠ざかると、人と話したり集団生活を営むことが非常に困難になると言われています。そうした中で、樣々な事件に巻き込まれてしまう事例も後を絶ちません。

便利で潤沢なモノに囲まれていても、人の温もりや生きる喜びを感じにくい…。それが、いま私たちが生きている社会の現状といえるのではないでしょうか。

そういったことを背景に、近年は、子ども食堂・バー〇〇・高校生カフェ等々…、いわゆる「居場所」作りが盛んです。人は独り生まれ、独りで去らなくてはならない孤独な存在ですが、同時に人と関わり合わなければ「生きている」ことを実感することが難しい存在です。

NPO法人の代表で、相談活動や食糧支援などの「貧困問題」に取り組んでいる方は、講演などの後によく「そんなに色々してあげれば、してもらうことが当たり前になって、自分の力で生きていく意欲をなくしてしまうのではありませんか」と、聞かれるのだそうです。

「そんなことはない」と、その方は言われます。「苦しい状況に置かれている人は、どうせ自分のことなど誰も心配してくれないと思っている人が少なくないのです。でも、その人たちの心配事に親身に寄り添ったり、食料を届けたりすることで、自分のことを気にかけてくれている人がいるんだ、頑張ってみようと、生きる希望や意欲につながる事例はたくさんあります」と。

私たちが、お念仏の教えを頂くということは、「どんな人も見捨てることはない」と誓ってくださった阿弥陀如来のお育てにあずかるということです。「人は育ててくれるものに似る」という言葉がありますが、阿弥陀さまの温かい願いに遇わせていただいてる私たちです。阿弥陀さまのその温もりを、一人ひとりがそれぞれできる形で、周りの方々や社会にお伝えすることができれば…、と思うことです。