浄土真宗の生活

無戒名字の比丘

親鸞聖人(以下、宗祖)は末法時代の仏教を

「五濁増のしるしには この世の道俗ことごとく 外儀は仏教のすがたにて 内心外道を帰敬せり」

と、見抜かれ悲嘆されます。ここで特に注意すべきは「この世の道俗ことごとく」の一言で、当然ながらこには宗祖ご自身も含まれているということです。

決して宗祖は、自分をこの状態の外に置いて、末法の仏教教団を批判しておられるのではありません。

またこのご和讃は、現実の仏教者の「善・悪」を述べておられるのではなく、これ以外に末法の仏教者の現状はないことを明らかにしておられるのだといえます。

では末法時代の仏教者はどのような姿をしているのでしょうか。

宗祖は「教行信証」の「化巻」において『末法灯明記』を引用して、末法時代の仏教者の姿を次のように語られます。

そこではまず『大術経』によって像法時代の百年ごとの仏教教団の乱れ行く状態が描かれています。

 

「仏滅後千年を過ぎると世の中が大いに乱れ、仏教者は教団の規定を平気で破り始める。

そして、千二百年では諸の僧や尼らに子どもができる。

千三百年では、袈裟が変じて白くなる(「白くなる」とはきらびやかになることで、袈裟や衣が華美で金や銀で飾られ、色もとりどり鮮やかになること)。

千四百年では、僧も尼も男女の信者も皆猟師のように獲物をあさるようになり、世俗の遊びに興じて三宝物(寺の宝物)を売るようになる。

千五百年では、二人の僧が争って殺し合いを始める。」

 

と説かれています。

そうして末法時代に入ります。

したがって末法時代には「仏法」は教えとしては残るのですが「戒・定・慧」を保つ者はありません。

それ故に、この世は戒律を守ることもなく世俗の中にあって生きる「無戒名字の比丘」のみとなります。

姿は仏教の教えによって、頭をまるめ袈裟を着ているのですが、内心は外道であって、心の中は欲望に満ちており、ただ財産や名誉を求めることに懸命になり、子どもの手を携えて酒場を飲み歩き世俗の遊びに興じる、それが末法時代の仏教者の姿に他ならないといわれるのです。

そうするとこの世は、二種類の人しかいなくなります。末法の時代は、ただ世俗的欲望のみが盛んになるため、何人の心も欲望に満ちています。その点において人の心には、全く違いがなくなりますが、一はその中にあって仏教の法衣を着ている名ばかりの僧(無戒名字の比丘)、二は心も姿も欲望に満ちている俗人、という二種類です。

さてここで、この無常の世の私たちの日常生活における「悪」の状態が問題になります。

どのような世の中においても、人は結局、老・病・死の苦悩や恐怖を免れることはできません。

幸福の最中にあって、突然どうしようもない破綻が起こります。

科学的な生活に破れ、他の宗教でも救われない、そのような人生における最悪の苦悩に陥ったとき、私たちはどうすればよいのでしょうか。

やはり無常を超える法を説く仏教に救いを求めざるを得なくなるのだと思われます。

ところが、この仏教教団にも悲しいことにただ欲望に満ちた無戒名字の比丘しか存在しません。この場合、救いを求める俗人の心も世俗的欲望のみであり、救うべき立場にある僧侶の心もまた欲望で満ちています。ここに果たして、真の意味での仏教的救いが成り立つのでしょうか。

 

ここで袈裟を着た名ばかりの僧侶に、何が求められているかが問われます。

この時、得に注意しなければならないことは、だからこそあなたがたは、自分が名ばかりの僧侶であることを深く反省し懺悔して「真の比丘になれ」といわれているのではないというこです。

末法の世において、無戒名字の比丘が、ほんの少し外道の真似ごとのような行をして、もし自分は聖者になったと錯覚すればどうでしょうか。

この者の姿は都会に虎が放たれ遊んでいるようなもので、それこそ怪しげで、かえって危険極まりない存在になってしまいます。

したがって、袈裟を着る僧侶は、真の仏道を何一つなしえない自分を心の底から深く恥じらい、まさに無戒名字の比丘でしか有り得ないことを明確に自覚し慙愧するのみだといわねばなりません。

 

ところで大衆は、この名ばかりの僧侶に帰依し仏法の功徳を得ようと集まりって来ます。

大衆のこの心はも世俗的欲望を満たすためのさらなる救いを求めているのですから、より一層の不幸に堕する方向でしかありません。

『末法灯明記』には、ほぼこのようなことが説かれていますが、では宗祖はこの書を通して一体、何をいいたかったのでしょうか。

 

末法時代における「無戒名字の比丘」の真のあり方がここで問われているように思われます。

そのためには、次の点をはっきりと抑えておかなくてはなりません。

  1. 末法時代であっても、仏法のみが衆生を救うのであって、それ以外の宗教には、真に衆生を救う道はありえない。
  2. いまの仏教者は、ただ仏教の衣を着ている無戒名字の比丘でしかないが、この者以外に真に衆生を救う者がいないとすれば、この仏教の衣を着ている無戒名字の比丘こそが、この世で最も尊い存在になる。
  3. なぜなら大衆は、この仏法者に出遇う「縁」に恵まれて、はじめて真実の救いを得る道が開かれることになるからです。

とすれば、無戒名字の比丘の責任は、極めて重くなるといわねばなりません。

では、この無戒名字の比丘に、何が求められることになるのでしょうか。

ほぼ次の二点に尽きるように思われます。

  • 一は、大衆に対して、出来る限り、仏縁に出会わせる場を作る。
  • 二は、この人々に対して、この末法時代においても輝いている真の仏法を語る。

 

このうち、一は主として宗教儀礼の問題になります。

末法の世において、欲望に満ちた人々を引き付けるためにはどうすればよいでしようか。

まず、威容を誇り宗教的雰囲気をかもしだす寺院建築が求められます。

法要儀式においては、堂内が飾りつけで見事に荘厳され、法衣は色衣になり、袈裟は金銀で飾られます。大衆を陶酔させる宗教音楽、厳かな読経、世俗的な人々に喜びを与える説法、そして大衆を引き付ける催し物、等々が考えられます。

ただしこれらは、外から見れば仏法だとしても、その内心はやはり外道だといわねばなりません。

けれども末法においては、大衆を仏縁に出会わせるために、このような方法しかないのであれば、自分は無戒名字の比丘でしかないことを自覚した上で、しかも外道の道しか歩めない自分に、大きな悲しみと恥じらいを抱かざるをえなくなります。

では、二はどうでしょうか。

この末法の時代に、人々に真実の仏法を語ることが出来る可能性は、果たしてあるのでしょうか。

そしてもしあるとして、それは一体誰がなしうるのでしょうか。

 

この実践の可能性は、浄土真宗においては、すでにこの教えに心が開かれている者においてのみといえましょうか。

端的にはにはそれは真実の信心を獲得している念仏者ということになります。

ここで法然上人や宗祖の日常生活の姿をうかがういますと、お二人とも日常生活の中で念仏を称え、念仏の法門を人々に伝えられたのですが、なぜそれが可能だったのでしょうか。

いうまでもなく、人徳が人を引きつけたのであり、その説法に大きな魅力が備わっていたからに違いありません。

ただし、お二人が人々を魅了した力は決して聖者としての超能力的なカリスマ性ではなく、むしろ客観的に見ればその反対で「愚」の自覚者としての深い人格的な魅力がそうせしめたと推察されます。

 

仏学道という面から見れば、両人とも非常に高い仏教の学問を身につけ、深く智慧を磨いておられます。

そして人間道という面から見ても、日常の生活の中では何ら倫理的過ちを犯してはおられません。

もちろん現代でもそうですが、生活が淫らであってしかも大衆から尊敬を受けるなどということはあり得ません。

共に仏道者としての自分を「無戒名字の比丘」でしかないと、非常に深い恥じらいの心で捉えておられるのですが、その慙愧の心こそが人々を引きつけ、その人徳にひかれ、その膝下に教えを聞くために人々が集まったのだと思われます。

では、お二人はどのような教えを人々に語られたのでしょうか。『歎異抄』に

親鸞におきては、ただ念仏して弥陀にたすけられまひらすべしと、よきひとのおほせをかふりて信ずるほかに別の子細なきなり

と述べられてありますが、日々の生活で「ただ念仏を称えて阿弥陀仏に救われよ」と、たんたんと念仏の法門を語っておられるにすぎません。けれどもまさにこの時の姿は「大悲が弘く普く教化する」という立場にほかなりません。これは善導大師の『往生礼賛』に見られる「大悲伝普化」という文の「伝」の字を知昇の『懺儀文』によって「弘」と捉え、そこに聖人独自の読みを施されたものです。

善導大師は仏法の伝道について、自ら信じ人を教えて信ぜしめることは難中の難である。だからこそ、仏の大悲を伝えて、普く人を教化するのが、真に仏恩に報じることだと、説かれ間か。けれども聖人は、末法の世においては、仏法を自ら信じ人に教えて信ぜしめることが難中の難であるとすれば、私たち凡夫には到底不可能である。それにもかかわらず、仏法がこの世に広まっているのは、まさに大悲が自然にはたらいて弘く普く衆生を教化している。したがって、この真理に気づくことこそ、「真に仏恩を報ずるに成る」と見られるのです。ではこの「仏恩を報ずるに成る」とは、どのような意味なのでしょうか。

この「報恩」を宗祖は、曇鸞大師の教えを通して

「恩を知りて徳を報ずる。理よろしく先ず啓すべし」

と理解されます。その教えの真理が教えを求める者の心に先ず啓発されて、はじめて人はその恩を知り自ずから教えを受けた恩に報いようと努力する、と受け止められるのです。では獲信の念仏者にどのような真理が啓発されるのでしょうか。私たちの五濁悪世の末法の世においては、ただ迷いの因と縁のみが逆巻いています。この現実において凡愚は本来、仏法と出遇う縁などありえません。にもかかわらずその凡夫がいま直ちに仏果に至るべき念仏の法門を聞かされているのです。しかもその聞法によって、無限に輝く南無阿弥陀仏に無条件で摂取されている自分を見るに至っています。

だからこそ、ここに無限の歓喜が湧いてくるのであって、これに勝る喜びはありません。「自分はいま無限の輝きに生かされて真実の喜びの中にある」それは、阿弥陀仏の法が、自然のはたらきとしてこの人の心に念仏の真理を啓発したことに他なりませんが、まさにその喜びこそが仏恩を知った者の姿になるのです。

このような意味で「報ずるに成る」とは、まさに念仏の真理を知った「喜びの姿」だといえます。そしてこの念仏を喜ぶ人は、日常の生活においてただ念仏を称え、その法の真理を人々と共に讃嘆することになります。それは、末法の人々に伝える働きの姿となりますが、そこには自分が念仏の教えを伝えるという意識や力みはみられません。にもかかわらず、この人の周囲には人々が集まり、念仏の法が喜ばれ、自然に念仏の法が伝わっています。大悲の法が必然的に輝き、この世で躍動しているのです。けれども、この念仏の法が法として伝わるのは、現実世界においてはやはり獲信の念仏者によっています。ではこの獲信の念仏者はどのような日常生活を送っているのでしょうか。            ここで再び「無戒名字の比丘」の姿が問題になります。宗祖はこの自分の姿を「非僧非俗」と宣言されます。『自分は国家権力の猥りがわしい裁きによって僧籍を剥奪それ還俗させられて姓名を賜った。それ故に自分は已に

「僧に非ず俗に非ず」

だと宣告し、「禿」の字をもって姓として愚禿釈親鸞と名乗ったのである。国が定める「戒律」を守る僧ではないが、自分はどこまでも仏法の衣を着ている僧だ。』という立場を取られます。

今日の日本における仏教教団は国が定める法の支配下にあります。具体的には、宗教法人法という所謂「俗法」のもとで、各々の教団が存続せしめられています。しかも世俗の法・役人の命によって仏法者の行動が義務付けられているのであって、決して純粋に仏法の戒律に基づいた行動を仏教者がとっているのではありません。いわば世俗の法に保護されて各々の仏教教団が各自の宗制・作法を作って仏教の衣を着ているに過ぎません。ただし、これ以外に現実の仏教教団の姿がないのだとすれば、この現状の中でいかにして真の仏法がこの世に伝わるかを仏教者は真摯に求めなくてはならないといえます。『歎異抄』はこの現実における唯一の仏教を

煩悩具足の凡夫、火宅無常の世界は、よろづのこと、みなもて、そらごとたわごとまことあることなきに、ただ念仏のみぞまことにておはします。

と語ります。この世はなぜ、念仏のみが「まこと」なのでしょうか。私たちの心が、世俗的欲望のみで満ちているかぎり、その人の行為の一切に真実は見られません。私たちの人間社会は、この不実な者の集まりによって成り立っています。だからこそこの世は迷いなのだといえます。ではこの火宅無常の世界にあって、もし迷いを超える道があるとすれば、それは何でしょうか。この迷いを破る仏の法に出遇う以外に道はありません。「念仏のみぞまこと」とは、この末法の世において、私たち凡夫の前に顕現する真の仏は、ただ「南無阿弥陀仏」のみだと宗祖は見られるのです。真実の仏と凡夫との接点は、ただ音声によるしかありません。相好にふれることは不可能だからです。それ故、阿弥陀仏の大悲の光明が衆生を摂取するために南無阿弥陀仏となって称名する衆生に来たっているのです。

自らの愚悪性に慙愧する「無戒名字の比丘」のみが、この念仏の真理に出遇います。それは心が弥陀の本願を聞くために開かれているからです。そしてこの比丘の人徳にふれた大衆がまたその念仏の法門を聞き、自分たちもまた真実慙愧する人になっていくのです。とすればここに、

「獲信の念仏者が未信の念仏者にただ念仏の真実を語り、未信の念仏者が獲信の念仏者から、ただ念仏の真実を聞く」

という関係が成り立ちます。この人たちの日常には、仏法者として自分の愚かさに気づかされながら、人間のどうすることもできない不実性、愚悪性を信知することにおいて、弥陀の大悲、念仏の功徳を喜ぶ日々が開かれています。そうすると、この念仏者にとっての日常は、せめて人間として倫理的によく生きようと努力しているということができます。真実よく生きようと努力する者のみが、まさしく慙愧するからです。ここに、念仏を喜ぶ浄土真宗の生活があります。