2019年10月法話 『とらわれないとは握りしめないこと』(後期)

「今日までの人生、上出来でございました。」との言葉を残して、自身の人生に区切りをつけられたのが女優の樹木希林さんです。

「私ね、自分の身体は自分のものだと考えていたのだけれども、これは借り物だったのだと思えるようになった。この身体をお借りしているのだと。その中に私という、何かよくわからない性格のものが入っている。

ところが、その借りものを和解子からわがもの顔で、ずっと使ってきた。少しぞんざいに扱い過ぎてきた。

癌になって、今頃気づいた。ゴメンネと謝ってももう遅い。(中略)

家や土地にしても自分でお金を出して買ったのだから、自分のものだと思っていたけれど、これも間違いだ。土地や家って、地球から借りているものだよね。東京だ、日本だと言うけれども、突き詰めれば地球から借りているものだったと思えた。

そのとき、これがほしい、あれがほしいということがスコーンと無くなった。

私の物と言っても、死ぬときには何一つ持っていけないでしょう。そう考えたら、物欲がすうっと無くなってしまった。

人間は、いつか死ぬというでしょう。でも、私はいつでも、「あっ、ご苦労さん。お借りしていたものをお返しします」と思っているから、すごく楽なのですよね。」

さてさて、私たちお互いの日々の生活の中身はどうでしょうか。

なかなか、樹木希林さんみたいな心境には至りません。

物心共に、自分のものととらわれ、握りしめている手を開くことができないとしたら、日々の生活が辛く、苦しいですよね。

今一度、「とらわれない・握りしめない人生とは何か」を仏さまの教えの中に問うてみていはいかがでしょうか。