最近広まった「節分の夜に、恵方に向かって願い事を思い浮かべながら丸かじり(丸かぶり)し、言葉を発せずに最後まで一気に食べきると願い事がかなう」とされる恵方巻のイベントが終わると、いよいよ2月14日のバレンタインデーに向けて商戦に拍車がかかりますが、実はバレンタインデーにチョコレートを贈るのは日本だけだそうです。
この催しは、昭和の初期、神戸の洋菓子店がハート形のバレンタインチョコレートを発売したのが始まりです。その後、その菓子店が広告に「バレンタインデーにはチョコレートを」というコピーを掲載し、2月14日を「チョコレートで想いを伝える愛の日に」とした戦略が当たり、デパートやお菓子業界、コンビニなどが追随しました。あるインターネットの調査では、現在約8割の女性が「バレンタインデーにチョコレートを贈る予定がある」という結果がでるまでに定着しています。
ところが、中には「バレンタインデーは嫌いだ」という女性もいたりするそうで、そういう人たちは「その日が休日だと内心ホッとする」そうです。なぜなら「義理チョコを誰にあげるか考えたり、準備したりするのが大変だから」です。確かに、本命ならともかく、義理なのに気を使う上にお金も使う。でも、みんながしているので、自分一人だけやめられなくて、毎年もどかしい思いをするのだそうです。近年は、それが嫌で、「自分へのご褒美」として買う人が増えているという調査結果も出ています。
その一方、実はもらった方もそれなりに大変だったりします。なぜなら、「もらったままでは申し訳ない」という心理に着目したお菓子業界が、いつの間にか「3月14日はバレンタインデーのお返しをするホワイトデー」なるものを考案、喧伝したので、今ではこちらもすっかり定着した感があります。しかも、どこかで聞いた「倍返し!」なんて言葉も聞こえてきたりして、普段「大切なことは目に見えない」とか言っている彼女に、「しっかりとお返しのプレゼントを指定された」なんて人もいたとか聞くと、バレンタインデーのチョコレートが「海老で鯛を釣る」という慣用句の「海老」に見えてせつなくなったりします。
私が園長をしているこども園でも、女の子がチョコレートを持ってきたり、翌月には男の子がそのお返しを持ってきたりする光景を目にすることがあります。幼児ですから、いずれもチョコレートやお返しの品を負担しているのは保護者です。
園では日頃から「見返りを求めず自分ができることを他に与えることの大切さ」、簡単に言うと「お手伝いの大切さ」を教えているのですが、義理チョコをめぐる貸借関係のような贈り物のやりとりは、それと真逆のあり方に他なりません。
本命チョコレートにまで口をさしはさむつもりは毛頭ありませんが、義理チョコに見られる貸借を前提とするイベントに幼児を巻き込むのはいかがなものかと思っています。なぜなら、子どもの頃から、お返し(見返り)をあてにする行為を年間行事として意識に刷り込んでしまうことは、その後の人格形成に何らかの悪影響を及ぼすかもしれないからです。ただし、個人的には、娘から父親へのチョコレートは「本命」だと信じたいと思っています。
経典の中に「和顔愛語先意承問」という言葉が説かれています。柔らかな笑顔で接し思いやりのこもった言葉を心掛けることと、「こうすれば相手が喜ぶだろう」と一方的に自分の善意を押し付けるのではなく、先ず相手の心のうちを推し量り、自分がそれをできるかどうかを自分に問い続けていくことの大切を説いている言葉です。
決して、他に対して「自分がしてやったのだ」とか、ましてや自分の行為に対する見返りを期待するのではなく、自分と関わった人が少しでも喜んでくれたら、それを自らの喜びとして分かち合っていくようなあり方を理想としたいものです。