2020年2月法話 『正しい施しは報いを願わない』(前期)

よく行く居酒屋に、私が海外旅行先で買った珍しい置物をプレゼントしました。店長さんはその置物を喜んでくださり、目につくところに置いてくださいました。

その居酒屋に友人を連れていくと必ずその置物を指さし“これは私がプレゼントした置物だ”と自慢げに紹介をします。さらには、これをプレゼントしたのだからサービスしてくれないかなという心が顔をのぞかせたりもします。

この置物は、お店にプレゼントしたといえども、お店にプレゼントした“私のもの”という感覚がぬぐいきれません。

仏教の大事な修行の一つにダーナがあります。これはインドの言葉で、訳すと布施(ふせ)・喜捨(きしゃ)という言葉になります。布施とは施し、喜捨とは喜び手放す(捨とはそもそも手から解き放すという意味があるようで、ここではその意味でとります)。

つまり、正しい施しは喜んで手を放すことといただくことができます。自分の手の中に握りしめたものを手放す、手放すのだから見返りを求める心や損得の心は起こらない。これが正しい布施といわれます。

あの居酒屋に行き、「あ、私がプレゼントした置物が置いてある」と思う度に、手放すことの難しさを痛感します。