2021年2月法話 『仏法 時代が変わっても変わらない真実』(中期)

刑事ものや探偵もののテレビドラマや映画の中で、「事件の真実は…」とか、「これが真実です」といったセリフを耳にすることがあります。そして、その事件における真実とはいったい何なのかといったことが中心になって物語は展開していきます。けれども、それはどこまでも「事実」であっても、「真実」とは違うのではないかと思っています。

例えば、殺人事件を扱った物語の場合、犯人や殺人の動機、殺害方法などすべてが明らかになったとしても、解明されたのはどこまでも事実であって、決して真実ではありません。なぜなら、それが現実におきた事件や創作された物語のいずれであったとしても、誰が人を殺したのかとか、どのようにして死に至らしめたのかということは、どこまで事実に過ぎないからです。つまり、人を殺したということは罪を犯したということであり、誰がどのようにして殺したのかということが明らかになっても、それはどこまでも事実であって、人を殺すという行為が真実であるはずはないのです。

本来「真実」とは、時代が変わっても決して変わることはありません。けれども、平和な社会ににあっては、人を殺すことは犯罪であり、罪を犯した者は法によって罰せられます。ところが、戦時中ににあっては、敵対する相手を殺しても罰せられないばかりか、英雄的行為として称讃され好評価を得ます。

また、儒教においては、直系の男子が先祖の祭祀を守ることが重視されました。そのため、儒教を国政の基本に置いた中国の歴代王朝では、子孫繁栄、男系相続者の存在が重要視され、中国の影響を受けることの多かった日本でもこの考え方が肯定的に受け入れられ定着しました。

ところが、現行の一夫一妻制の下では、女性一人が生涯に出産できる子どもの数は限られますし、妻の健康状態や不妊問題から、子どもを授からない場合もあります。そのため、男系男子の子孫を安定的に確保できるとは限らないことから、その問題を防ぐために、側室を持つことにより男系男子の子孫を絶やさないことが考慮されました。

そのような儒教倫理に基づき、かつては「正室が一人で側室が複数」ということが容認、あるいは推奨されていたのですが、時代と共に倫理・道徳観などが変化する中で、その影響を受けて皇室でも大正期に側室が廃止されました。ところが、依然として皇室は「男系男子の子孫によって皇位を継承すること」を原則としているため、昭和・平成を経て令和の時代なると、「男系男子の子孫」の数が少なくなり、将来も男系男子によって皇位を継承していくことへの不安が危惧されるようになっています。

このように、ものの見方や考え方はいつの時代においても一定ではなく、その時々において全く相反することさえあったりします。そうすると、「真実とは何か」ということが問題になりますが、それを紐解く言葉が「時代が変わっても変わらない」ということではないかと思われます。

実は「仏法」とは、お釈迦さまが創作された教えではありません。そのことをお釈迦さまは自ら、一つの比喩をもって次のように説いておられます。

『比丘たちよ、たとえば、ひとりの人があって、人里はなれた森のなかをさまよい、はからずも、むかしの人々が通った古道を発見したとする。彼が、その道をたどってずっと行ってみると、そこには、むかしの人々が住んだ古城があった。それき、園林をめぐらし、美しい蓮の花を浮かべた池のある、すばらしい古都であった。

彼は、帰ってくると、ただちに、そのよしを王さまに報告して「願わくは、かしこに、ふたたび都城を築きたまえ」と申し上げた。王さまは、それを聞いてたいへん興味をもち、ただちに大臣に命令をくだして、そこに都城を築かしめた。すると、そこには、人々がたくさん集まってきて、殷盛をきわめるにいたったという。

比丘たちよ、ちょうどそれと同じように、私もまた過去の正覚者たちのたどった古道を発見したのである。

では比丘たちよ、過去の正覚者たちのたどった古道とは何であろうか。それは、かの聖なる八支の道のことである。すなわち、正見、正思、正語、正業、正命、正精進、正念、正定の八つの正道がそれである。

比丘たちよ、私はその道にしたがって進んでゆき、やがて老死を知り、老死のよってきたるところを知った。また、いかにして老死を克服すべきかを知り、老死の克服を実現すべき道を知ることを得たのである。

比丘たちよ、私はそれらのことを知ることを得て、それを比丘、比丘尼、ならびに在家の人々に教えた。かくして、この道は多くの人によって知られ、栄え広まって今日にいたったのである。』

仏法はお釈迦さまによって知られ、お釈迦さまによって説き教えられたのですが、お釈迦さまご自身は、ここで「過去の正覚者たちのたどった古道を発見したにすぎない」と語っておられます。つまり、それは真実を発見し、それを明らかにしたのが仏法だということです。このように、仏法は真実であるがゆえに、いつの時代にあっても人々の心に燦然と輝き、生きる勇気となってはたらくのだといえます。