2021年2月法話 『仏法 時代が変わっても変わらない真実』(前期)

新型コロナウイルスの記事を最初に新聞で読んだのは2020年の1月頃だったと思います。

その時は中国の武漢というところで原因不明の肺炎が出ているという小さい小さい記事でした。その時には誰が、このような事態になることを想像したでしょうか。

4月には緊急事態宣言が出され、今なお終息の兆しは見えません。目にも見えない小さなウイルスで私たちの日常はこうもあっけなくひっくり返ってしまうことを痛感しました。心穏やかに暮らすためには、心の置き所が大切なようですが、私たちが暮らす世界のどこに安心して心置ける、決して変わることのない確かなもの(真実)があるでしょうか。

浄土真宗をひらかれた親鸞聖人は、幸せをお求めにならなかったようです。その証拠に主著である『顕浄土真実教行証文類』には「幸」という言葉が1度も出てきません。私たちが求める幸せはすぐにひっくり返ってしまうことをご存知だったからかもしれません。「幸」は1度も出てきませんが「真実」という言葉は134回も出てきます。決して変わることのない確かなもの(真実)を求めて親鸞聖人は生きられたということでありましょう。そして親鸞聖人は、必ずあなたを救うと誓われた阿弥陀仏という仏さまこそ真実であると私たちに教えてくださいます。

昨年、私の父が往生いたしました。人工透析は十七年間にも及び、大きな手術を何度も繰り返しました。人生は思うようにいかないということを、身をもって感じていたように思います。しかし父は命終わるまでずっと阿弥陀仏との出会いを慶びました。病床でもずっと「南無阿弥陀仏」と念仏を称え、最期の言葉は「本願一乗(阿弥陀仏のはたらき)ありがたい」でした。”しあわせ”の語源は、「し合わす」で、いわゆる「めぐり合わせ」というところから来ているようです。欲望が叶った状態を幸せと表してしまいがちですが、本来、出会うべき確かなものに出会えたことを”しあわせ”というようです。真実の阿弥陀仏に出会えた父の人生は仕合わせなものでした。

合掌