2021年1月法話 『合掌 多くのいのちに生かされて』(後期)

農家に嫁いで50年の祖母がこんな話をしてくれた。

主人は夕方田んぼに水を入れてきたら、翌朝は必ず田んぼに出かけた。ある朝のこと、「田んぼの苗と話をしてきた」と言う。

「ふうん…。そしたら苗は何というたの」と、冷やかし気味に返事をすると、

「お前はまだ田んぼの味が分かっていないなあ。米作りをする者が田んぼへ言って、苗と話をしないでどうする。

苗を植えてから6月の半ば頃までは、田んぼの水は布団にも水枕にもなって苗を守ってくれる。

風が吹くような夕方は、今晩は寒いだろうと田んぼに水を入れてやる。

そんな夜は、田んぼの水は苗の布団になってくれる。

逆に、今夜は暑くなりそうな日は、夜の水は苗の水枕になって暑さをしのいでくれる。

朝になって、田んぼへ行き、夕べはどんな具合だったと聞くと、苗はきちんと答えてくれるぞ」

と言われて、私は恥ずかしかった。これでは、農家の嫁として胸は張れないとシュンとなった。

主人は「うちで取れた米を人びとに喜んで食べてもらいたい。自慢の米をつくりたい」と、一生懸命に育てていた。

その中で、米作りの喜びも辛さもよく見せてもらった。主人は、イネと自分が一体となっていた。

「田んぼを手放してはダメだぞ。米を大事にしないといけないぞ」が口癖だった。

子どもも、米も野菜も、花もミカンも生き物である。生き物は愛情をもって心を込めて、思いを込めて育てることが大事だ。そうすると、みんな応えてくれることが、主人と暮らしていてよく分かったと、祖母は語ってくれた」

以上、岡佐智子氏(大谷女子大学)の文より

食前の言葉に「多くのいのちと、みなさまのおかげにより…」とありますが、多くのいのちにいかされているということに頷けたら、「喰らう」でも「食べる」でもなく、「お蔭さまでいただきます」という、「いのちをいただく」という世界か広がっていくのではないでしょうか。