『天眼(てんげん)』

 普通、物を見ると言えば、眼で見ることを指します。

ところが、眼で見る以上のことが見える場合、肉眼と区別して特に天眼と呼びます。

例えば、音楽の心得のある人にとっては、楽譜は単なる記号ではありません。

楽譜を見れば音楽が聴こえてくると言われます。

これも天眼の一つといえます。

むろん、音楽に通じたからといって何でも見通せるわけではありません。

人相占いの人が、人間についてのすべてを見抜けないのと同じことです。

『観無量寿経』

という経典では、我が子との関係の中で苦悩する韋提希(イダイケ)に対して、お釈迦さまは次のように語っておられます。

「汝はこれ凡夫なり。

いまだ天眼を得ず、遠く観ることあたわず」

と。

ここには、自分の身の回りのことにとらわれて、広い世界を見渡せない人間の在り方が言い当てられています。

また、目先のことに心を奪われ、未来のことを見通せない生き方がおさえられています。

現代の私たちは、科学技術の発達により、人間は自分たちが何でもできるかのように錯覚している面があります。

いわば、何でも見通すことのできる天眼を手にいれたかのように思っているふしがあります。

しかし、発達・発展という名野元に、これまで地球上には存在しなかった多様な問題を、人間自身が生み出し続けているのも確かな事実です。

このような意味で、将来にわたって何が大切であるかを、本当に見通すことができているとは言い難いようです。

私たちに必要なことは、自分がいかに狭い範囲しか見えていないかを、はっきりと知ることです。

人間中心の生き方を越えて行く道は、そこにしかないのではないでしょうか。