一般に
「流通(りゅうつう)」
という文字からは、大半の人がお金や物資が往き来することを思い浮かべられることと思います。
しかし、元来はお金などに限ったことではなく、物事が流れる水のように広くゆきわたることを意味する言葉で、仏教では
「るづう」
と読みます。
たとえば、経典を解釈する時には、古くから三つの部分に分けて読まれてきました。
序分(じょぶん)と正宗分(しょうしゅうぶん)、そして流通分(るづうぶん)です。
この流通分は仏さまの教えが世に広く伝わることを課題としています。
つまり、仏さまの教えが広くゆきわたることを
「流通」
という言葉に託してきたという訳です。
親鸞聖人が
「真実の教」
として大事になさった
『大無量寿経』
というお経があります。
その流通分には、釈尊が自分が入滅された後の世を見通されて、灯とすべき教えを説いておられます。
それは苦しみ悩んでいる者が、一人も漏れることなく、生まれてきた喜びを取り戻すことができるようにという願いからきています。
その根には、國が違っても、時代が変わっても、苦悩を持ち、お互いに傷つけ合っていく人間のあり方が見据えられているといえます。