3月の半ばに1週間ほどカンボジアという国を旅してきました。
カンボジアと聞けば、誰もが世界遺産のアンコールワットを思い起こされるのではないでしょうか。
その優美で壮麗な姿は国旗にも描かれているほどですが、140年前まではその存在を知る人はなく、密林の奥深くに眠っていたそうです。
そのように神秘的で華麗なアンコールワットの国というイメージを抱いて旅立ったのですが、そこに待っていた光景は、残念ながら私の期待とはかけ離れたものでした。
まず私を出迎えたのは、悲惨な内戦の傷跡が色濃く残る町並みの様子でした。
すさまじかった戦禍の負の遺産とでもいうべきその光景は、私の観光気分を一転させるには十分過ぎるほどでした。
1975年以降ポルポト政権下のカンボジアでは、人口800万人の国で100万人以上の(200万人という説も)自国民の大量虐殺が行われたそうです。
その3年8カ月の間に受けた苦痛は、カンボジアの国民の「精神的外傷」として、現在でも人々の記憶に深く刻み込まれているとのことです。
また、中でも私が言葉を失ったのは、カンボジアに暮らす同年代(20歳代後半)の人達は、そのほとんどが両親を殺されてしまっているということを聞かされた時です。
本当にショクでした。
「これがカンボジアという国の現実なのか…」と。
親と過ごした記憶もなければ、親という存在さえも意識化できないまま生きてきた人もいるといいます。
悪夢としかいいようない、私たちの想像を絶するような闇黒の時代が終わっても、いつまでも消し去ることの出来ない「負の遺産」を誰もが否応なしに背負わされているのです。
当時の拷問所の跡を博物館として、そのままの形で現代に残すトゥールスレンや処刑場のキリングフィールド。
それらは遠い過去の遺跡ではなく、わずか30年前にこの国で実際にあった生々しい事実を今に伝える証人です。
その現実に接するところから、私のカンボジアの旅は始まりました。
アジアの国々には、まだ自分が知らないだけで、これ以外にも決して目を背けてはいけない事実がたくさんあるように思われます。
同じように、私の周囲にある事柄についても「まだ知らなかったり、気付いていないことが多くあるのでは?」ということを考えさせられた旅でした。