昨年の年末、そして年が明けてからも、鹿児島県内では各地で積雪が記録される日がありました。
私の住んでいるところは、鹿児島県の南に位置し、海沿いにあります。
ここでも雪が降り、朝起きると一面が銀世界という日がありました。
しかし、その雪もお昼を過ぎるころにはほとんど融けて、なくなっていました。
私の住む地域では、たまに雪が降ることはあっても、積もることはめったにありません。
そのためか、初めて雪が積もっているのを見た私の子どもは、雪が降っている中、かっぱを着て、長靴を履いて、喜んで走り回ったり、雪を口に含んでみたりして、とても楽しそうに遊んでいました。
一方、私はというと、外出する用事がありましたので、
「あの峠を車で通れるだろうか」とか、
「早く降り止んでもらえないだろうか」
と心配になって、雪を楽しむどころではありませんでした。
そのかたわらで子どもは
「もっと降れ、もっと降れ」
とはしゃぎ、私は
「早く止んでくれ」
と願っていました。
ふと、
「自分が小さい時は、どうだっただろうか」
と振り返って見たとき、雪が積もった日は、やはり自分の子どもと同じように雪の中を走り回って雪投げをしたりして、大変嬉しかったことを思い出しました。
年を重ね、いつの間にか子どもの頃の思いを忘れている自分に気づかされました。
「雪がとければ、どうなりますか」
という質問にある少年は、
「雪がとけると、春になります」
と答えたそうです。
もし私が質問されたらば即座に
「雪がどければ水になる」
と答えたことでしょう。
年齢を重ねるたびに、凝り固まった一定の考え方・見方しかできなくなってきている自分をかえりみながら、この少年のように、柔らかい心で物事を見ていければ、また新しい発見があるのではないかと思うことです。
春の足音が、少しずつ聞こえてきている今日この頃です。