現代は『もったいない』という言葉を伝えることが難しい時代だという話をよく聞きます。
特に今の子供たちには、
「もったいない」
と教えてくれる大人が側に居てくれるかどうかでさえおぼつかない時代と言っても過言ではないかもしれません。
身の回りに物があふれ、物を大切にする心が忘れ去られてしまっていることの現れなのでしょうか。
物を大事にするというのは、例えば食事の時なら、ご飯茶わんについたご飯粒を一粒も残さないようにとか、目の前の料理を残さないように等。
調理の時なら、献立や調理法を工夫をして極力捨てる部分が無いように調理をするとか。
文房具で言えば、鉛筆が短くなったらキャップをつけて最後まで使うとか、ハサミや定規の取り扱いを丁寧にしたりとかということです。
一つ一つの物や事を大切におもう気持ちが薄れてしまっていないでしょうか。
一つ一つの事物が無数の縁によって成りたち、今私の眼前に現れているということを、なかなか気付けないようになってしまっているのではないでしょうか。気をつけたいものです。
さて、『勿体無い』の言葉の由来をたずねてみますと、勿体の「重々しさ」「威厳さ」などの意味から、もったいないは「妥当でない」「不届きだ」といった意味で用いられていたようです。
そこから転じて「自分には不相応である」という意味になり、「ありがたい」や「粗末に扱われて惜しい」など、もったいないの持つ意味は広がって行きました。
ここで、「ありがたい」という意味に着目してみると、「事物が粗末にされて惜しい」という意味のもう一つ向こうに「こんな私に勿体無い」という巡り合わせをよろこぶ感謝の心が込められていることが分かります。
「もったいない」の心、今こそ大切にしなければならないのではないでしょうか。
ちなみに、「勿体」は本来「物体」と書き、「もったい」と読むのは呉音。
「物の形」
「物のあるべき姿」
の意味から派生して、
「重要な部分」
「本質的なもの」
の意味に。
さらに、重々しい態度などの意味に派生し、意味が離れてきたため「物」が省略され、「勿」という表記で和製漢語の「勿体」が生まれたとされます。