今年の1月下旬、文部科学省が実施した全国の小・中学校の学校給食に関する実体調査で、2005年度の滞納総額が22億円を超えていたことがわかり、そのことがテレビ・新聞で大きく取り上げられていました。
報道によれば、文科省が実体調査を行ったのは、滞納が目立っているとの指摘が各方面から寄せられたためだそうです。
また、児童・生徒数から計算すると、100人に1人が滞納している結果になるのだそうで、確かに指摘がなされるのもわかるような気がします。
ところで、驚いたのは滞納原因として約60%の学校が
「保護者の責任感や規範意識」
をあげ、やむを得ないと思われる
「保護者の経済的問題」(33%)
とする見方を大きく上回ったことです。
もちろん、経済的に余裕があるにもかかわらず払わないのか、困窮していて本当に払えないのか、家庭に立ち入って資産状況を調べる訳にはいかないので、その線引きについては難しい面もありますが、少なくとも学校側は滞納家庭の3人に2人は
「払えるのに払わない」
ケースだと考えているようなのです。
この
「払えるのに払わない」
理由として、教育関係者は
「親が学校や教師を尊敬しなくなっている状況が背景にある」
と見ているそうですが、ささいなことで親が学校に苦情をいうケースも増えて来ており、まさに
「自分勝手な親が増えていることが、給食費の滞納額の増加と重なっているようだ」
とも付言しています。
ではその一方で、給食費を支払っている親には何の問題も見られないのかというと、今度は
「うちの子はちゃんと給食費を支払っているのだから、給食の時間にいちいち『頂きます』などと、手を合わせて言わせたりしないでほしい」
と主張する親がいたのだそうです。
「お金を払っているのだから、食べるのは当然の権利。いちいち手を合わせて頭を下げる必要なんてない!」
ということのようですが、果たして本当にそういうものなのでしょうか。
「お蔭さま」という言葉があります。
私たちは見える部分だけではなく、むしろ見えない陰の部分に思いを寄せて、そのご恩を心身で感じ取ることの大切さをこの
「お陰さま」
という言葉で味わって来たのではないでしょか。
捧げられた「いのち」そのものに対して、あるいは土・水・光などの自然の恩恵、そして食事を作って下さった方への感謝の思いを
「いただきます」
「ごちそうさま」
の言葉で言い表してきたのだといえます。
まさに、日々の生活においても「当たり前」と思っていることの中に、大切なことがたくさんあるのではないでしょうか。