『泥沼の どろに染まらぬ 蓮の花』

私たちは、毎日鏡を見て自分の様子を確かめます。

目で見える姿は良く分かりますが、自分の心となると鏡に映すみたいに見ることはできません。

しかし、自分の心が山の中の泉のように、澄んでいないことは分かります。

また、他人には見えないので、自分の姿を鏡に映して整えるように、心を整えて出かけるというようなこともありません。

 私たちの心は、腹を立てる心や、必要以上にほしがる心や、思うようにならないことから、愚痴を言う心で満ちあふれていると言っても過言ではありません。

たとえれば、泥田のようなドロドロとしたものです。

 美しい花、蓮はそのような泥田の中に咲きます。

泥に染まらぬ美しい花です。

浄土真宗のご本尊、阿弥陀如来はあらゆる苦悩する人を救おうという願いを立てられ、その救いの方法を完成し、私たちに届けていて下さいます。

 まるで泥沼のような心を持ち、苦悩する私を救おうと、阿弥陀如来はいつもはたらきかけていて下さいます。

その仏さまの心が私の心に至り届いて、この仏さまこそ泥沼のような心をもち、苦悩する私を救ってくださる仏さまだという確かな心、いわゆる信心が生まれるのです。

 ドロドロとした私の心に、仏心を受け取った信心があります。

それは、まるで泥田の中に蓮の花が咲くように、私の濁った心に染まらない美しい心、信心が届けられたということです。

本当に、有り難いことだと思われます。