私達は、子どもの頃から誰もが
「やさしい心を持ちなさい」
と、言われて育って来たのではないでしょうか。
今でも、この言葉はよく言われていますが、この
「やさしさ」
というのは、人の気持ちが分かること、相手の立場にたって考えられること。
あるいは、相手のことを心配して厳しいことをいうこと。
それらのどれもが、相手のことを考えているからこそ、表現は違うようでもその内実は
「やさしさ」
について語っているといえるようです。
ただ、私達はともすれば、他人に対して
「親切にしてあげたのに、何もしてくれない」
とか、
「そんなことなら、言わなければよかった」
と、したことや言ったことしたことに対して、相手が期待していたような反応を示さなかった場合、機嫌をそこねてしまうことがあります。
けれども、
そのようなことに陥ってしまうのは、その言動が本来の
「やさしさ」
から出たものではなかったからだといわざるを得ません。
仏教では
「慈悲」
という言葉があります。
「慈」
というのは、純粋な友愛という意味です。
ここで言われる
「純粋」
とは、見返りをもとめないということです。
また
「悲」
は相手の痛み、苦しみを自分のこととして共感することです。
これが、
「やさしさ」
とも重なります、
仏さまは私の苦しみ、痛みをまるで自分のことのように感じられ、少しでもその苦しみ痛みから私たちを解放し、本当の幸せになってほしいと願う心を持ち、はたらいておられます。
その仏さまの慈悲に、私達はすでに包まれているのです。
したがって、その慈悲の心に気付かされたとき、私達は本当の
「やさしさ」
を知ることが出来るのだと言えます。
このような意味で、
「やさしさ」
とは相手に見返りを求めず、相手の苦しみや痛みを自分の苦しみや痛みとして分かち合うことの出来る感性だと言えるようです。
私たちも、そのような感性を持ち、慈悲の心に少しでも近づくことができたらいいですね。