近年、政治・経済をはじめ国際的紛争の問題や、いじめ、悲惨な殺人事件など、殺伐とした事件や、
「お金さえあれば何でも手に入る」
といった世の中の風潮を、朝な夕なにマスコミが報じています。
日本人が守り続けてきた、謙虚さや思いやりの心が次第に失われてゆくのでしょうか。
そんな中東日本大震災以降、
「本当の幸せって何…」
とネットを通して問いかける若者が増えているそうです。
本当の幸せって何でしょう…
「豊かな経済力」
「地位・名誉」
「健康」
「友情」
「恋人」…
「幸せ」
と言えば、子どもの頃に読んだ童話の中に、メーテルリンクの
「青い鳥」
という話がありました。
うろ覚えではありますが、
『あるクリスマスイブの夜に、貧しい木こりの兄妹チルチルとミチルが夢の中で魔法使いのおばあさんに
「幸せの青い鳥を探して欲しい」
と頼まれて、色々な国を旅して、その
「青い鳥」
を探すのです。
二人は色々な国を苦労しながら巡り、その鳥を探すのですが、どの国でも、あと少しのところで逃がしてしまい、結局
「青い鳥」
を捕まえることは出来ませんでした。
そして放浪の旅が終わり、二人は夢から目覚めます。
目覚めた二人が、ふと部屋の片隅の鳥かごを見ると、中に青い羽根が入っているのを見つけます。
二人は自分たちが飼っていた鳩が、本当の青い鳥だったことに気づくのです。
魔法使いのおばあさんは二人に、
「幸せはすぐそばにあっても気づかないものだ」
と教えてくれたのです…』
こんな話だったと思います。
この青い鳥の話は、戦後貧しかった日本が豊かさという
「青い鳥」
を追いかけ固執する中に、本当に大切にしなければならない心を見失っていく姿が重なってしまいますが、青い鳥(本当の幸せ)が教えてくれることは、幸せが遠い所とか近い所に有るとか無いとかの話ではなく、色々な物や事(青い鳥自体)に固執して見えなくなっている自分自身の姿に気づかせてくれる尊さではないでしょうか。
幸せだから感謝する気持ちになることは、自然な事のようにも思えますが、
でも日頃なかなか大切なことに気づけない私が、ありがとうと感謝する瞬間があったとするなら、それは気づかぬ私に気づかせてくれた願いが働いたからだと言えるのではないでしょうか。
そう考えると、青い鳥とは、私に大切なことを気づかせ、育てるくれる働きそのものだと、受け取る事が出来ます。
私の心の中に感謝する心が芽生えたことは、その願いに出逢えたことではないでしょうか。
「感謝できることが幸せである」
大事にしたい言葉です。
本願力にあいぬればむなしくすぐるひとぞなき
功徳の宝海みちみちて煩悩の濁水へだてなし