私たちの生活に欠かすことのできないものに、光の存在があります。
全てのものはこの光に照らし出されることによってその姿を表し、また私たちの目は光の力を借りることによってあらゆる情景を見ることができるのだと言えます。
そのような意味で、見るというよりも見えると表現する方が本来的な言い方だと思います。
けれども、見えるということに慣れ過ぎてしまった私達は、目に見えている部分だけがその全てであり、見えていないものに対してはなかなか理解を示そうとはしないものです。
見えて当たり前と思う心に気付かされて初めて、本当は何も見えていない闇の只中にいる自分であると知らされます。
思うに、そこに気づいていくところに限りない光の世界へのうなずきが生まれるのではないでしょうか。
仏さまの光、真実の光というのは、ものを照らす灯りとはまた違い、私たちの内なる心を照らしてくださいます。
それは、物事の本質に目を向けるということの大切さを教えてくれているのだといえます。
外見ばかり見ていた私の目線が、心を見つめるようになるとき、これまで目をつぶってきた、自分の都合のいいままに生きようとする在り方が問われるようになります。
「一寸先は闇」という身の事実に目覚めるとき、仏さまの教えは私の人生の道しるべとなりひかり輝いてくださいます。