大昔、インドで死後の世界は「有也(あるか)、無也(ないか)」という議論が行われていました。
当然このような議論はあいまいな結果にしか終わりません。
要するに最初から不毛の行為なのです。
ここから転じて、この言葉は「あるかないかをはっきりさせない、いい加減な態度や状態」を表すようになったそうです。
なお『正信偈』には「南天竺に龍樹大士世に出でて ことごとくよく有無の見を摧破し 大乗無上の法を宣説し…」と、龍樹菩薩が、死んだら霊魂が残るとする有の見、死んだら何もなくなるとする無の見を、正しい仏法(因縁所生の法)を説いてことごとく打ち破られたと讃嘆してあります。