『彼岸を仰ぎながら 此岸に生きる』

春秋の彼岸は、日本独特の風習だそうです。

「彼岸」とは、さとりの世界、お浄土をさす言葉です。

これに対して、私たちの生きるこの世は「此岸」といって、迷いや苦悩に満ちた世界のことをいわれます。

一説によると、太陽が真東より昇り真西に沈むこの日に、日没を観想してお浄土を偲び、おそらく聖徳太子の時代に四天王寺で法要が行われたのが最初ではないかといわれています。

 沈みゆく夕日、それは私たちに人生の終焉を思わせます。

当たり前に生きている私が、「死」を縁として、「いのち」と向き合う時間。

今は亡き懐かしい人を偲びつつ、いのちの行く先を、お念仏の教えの中に聞かせていただきたいものです。

今では、お彼岸といえば、先祖の墓参りをする、という風習だけが残っている感じがします。

よくテレビでお墓参りの様子が放映され、

「先祖の霊を慰めていました」

というナレーションが決まり文句です。

しかし、それがともすれば

「さあ終わった」

「ご先祖もこれで文句はないだろう」

となってしまっては、あまりにも寂しく思います。

一年の中でも一番気候のいいこの時に、進んでお寺の仏事に参加して、ご縁を深めることも大事なのではないでしょうか。

お念仏の教えにあい、法悦に満ちた詩をたくさん残された榎本栄一さんは

『わたしを見ていて下さるひとがあり わたしを照らしていて下さる人があるのでわたしはくじけずにこんにちをあるく』

と詠っています。

 手をあわす私が照らされている。

懐かしい方々が彼岸より仏のはたらきとなって、私に彼岸への人生を生きるのだよ、と導いてくださるのです。