もちろん近世までは、その役目は主として宗教が担っていたのです。
神に祈祷し、占いや呪を行って、人間にまとわりつく苦悪の呪縛からの開放を願ったのです。
けれども、その効果は期待したほどあがらず、むしろ反対に人間をさらなる不幸に落ち込ませることさえあったといえます。
だからこそ、現代人はこのような行為を「迷信」として非常に嫌うのです。
祈祷や占いに見られる不合理性は、理性的なものの考え方、科学の眼から見れば、全くおかしいといわねばなりません。
だからこそ、理性的な生活が求められているこの科学の時代においては、迷信や俗信と見られる行為はまず第一に除かれなければならないのです。
この科学の時代を生きる現代人で、迷信的在り方に頼った生き方を肯定する人は極めて少ないと思われます。
そこで、
「現在では、迷信や俗信が消え去ってしまったのです」
と言われれば納得出来るのですが、現実はそうではありません。
「科学の時代」と言われる一方で、他方ではこの現代において迷信が世を謳歌しているのです。
それは何故なのでしょうか。
人生は「不条理」だと言われています。
それは、科学時代の現代においても何ら変わるところはありません。
この私に、いつどのように不慮の出来事が起こるか、実際のところ全くわからないのです。
ところで、現代人の特徴は便利で楽しく快適な生活に慣れ親しんでいる反面、苦痛に耐えることが非常に弱くなっているといえます。
その上、物事の判断を常に合理的に行っていますので、論理立てて考えることには強いのですが、理性に反するような出来事が起こりますと、どうしてよいかわからなくなってしまいます。
人がもし人生の途上で、不条理な出来事に出遇い、不幸のどん底に落ち込み、苦悩にあえいでいるとします。
その耳元で、甘い言葉がささやかれたとしたら…、その人はどうなるでしょうか。