「親鸞聖人の他力思想」12月(前期)

「本願寺新報」

に掲載された論旨は次の通りです。

(1)一言でいえば、浄土真宗は「祈り」なき宗教である。

(2)衆生は祈って救われるのではなく、如来から願われて救われている。

(3)人間には真実心でもって祈る心はない。

(4)この道理を二種深信が教えている。

「二種深信」というのは、私たちに二つの真理をはっきり見よという教えです。

一つは、人間というものはどこまでも迷い続けている。

これが人間の本質です。

そして他の一つが、凡夫は迷い続けているからこそ、如来の本願はその迷える者を一方的に救うのだということです。

したがって迷っている人間の姿と、その人間を救う本願の真理をはっきり見つめよ、ということを教えているのが「二種深信」です。

ここでは、その「二種深信」の教えを学べば、そういうことがよくわかるというのです。

そこで、

(5)浄土真宗が最も嫌うのは、自力の心であり、雑行雑修の祈りである。

(6)もし祈願請求の祈りを真宗教団に持ち込めば、他力信心の否定になる。

(7)親鸞聖人の手紙に書かれている「世のいのり」という言葉は、信心を得た後の報恩の思いから発せられたものであり、獲信した者の心としては認められるが、浄土への祈願としての念仏は絶対に認められない。

と、このように

「祈り」

に対する浄土真宗の基本的な立場が説明されました。