「念仏の教えと現代」11月(後期)

 現代の人々は、科学的、道理的に判断できること、筋が通っていることについては強いのです。

けれども、私たちの人生は筋が通らないことに満ちあふれています。

まさに人間は、常に不条理の中にあるのです。

言い換えると、どうしようもないことの中に人間はたたずんでいると言えるのですが、そのましさく不条理な事柄に関しては、人間は実に弱い面を見せることになります。

 そのような観点から、自分の姿を見つめてみると次のような姿が浮かび上がってきます。

私たちは、通常は迷信的な事柄など信じてはいません。

ただしそれは、自分が健康であって、ほぼ思い通りの人生を過ごすことが出来ている時です。

そういう人々は、例外なく迷信を否定します。

 したがって、幸福な人生を送っている人で、迷信を否定しない人はいないといっても良いように思われます。

けれども、どうしようもない不幸が突然自分を襲ったり、科学的に正しいと判断しているそのことが完全に狂ってしまった時には、心が動転して、今までの思いが根底から崩されてしまうことになります。

そのため、心が大きく揺れ動いて、自分がどのように進めばよいのか全く分からなくなってしまうのです。

 このような状態に落ち込みますと、生きる支えがなくなってしまうのですから、これはもう訳のわからないものにしがみつくしか仕方がなくなってしまいます。

ここに、今さかんにはやっている宗教現象が存在する根拠を持つことになっているように窺えます。

現代人の大きな特徴は、不条理な事柄、どうしようもない不幸に対する弱さという点に顕著に見られると言えます。