少し時季外れかもしれませんが、昨年末の忘年会の折り、乾杯の挨拶をされた方の言葉が、今でも印象深く心に響いてます。
その内容はと申しますと…、
『今年1年を振り返りますと、苦しかったこと、辛かったこと、もう思い出したくもないようなことなど、皆さんの中にもいろんな出来事があった1年ではなかったでしょうか。
忘年会では
「そのような嫌なことはお酒を飲んで、今日で全て忘れてしまいましょう」
という言葉はよく聞きますが、そう簡単に忘れることが出来ないのもまた、私たちではないでしょうか。
むしろ「忘れ難い大切な経験であったなぁ」
と振り返りながら、そのことを糧に、これから迎える新年に対して希望を抱く“望年会”としていきましょう、乾杯!』
「なんと素敵な挨拶なんだろう」
と思いました。
そしてまた、人間という姿の実態がこの言葉の中に凝縮されているようにも感じました。
良い思い出、悪い思い出。
但しそれは自分の心と判断で、都合良く自分が決めつけてしまっていることなのかもしれません。
その時は辛い体験であったことが、時が経ち思い返してみると、
「あの時があったからこそ」
と、いつしかそれが
「かけがえのない貴重な体験であった」
と振り返ることも、私たちには多くあったりするのではないでしょうか。
「浄土真宗の生活信条」の二番目に、
『み仏の光をあおぎ、常にわが身をかえりみて、感謝のうちに励みます』
とあります。
ついつい
「自分の思うがままにあってほしい」
と願う私に、阿弥陀さまの智慧と光は、私の醜い実態を映し出し、
「お前それでいいのか?」
と厳しく自分を問いただしてくださっているようです。
どのような人生の歩みであっても、その一つひとつが私にとっては大切なご縁であり、その一つひとつの点と点はやがて一本の線となり、今の自分へと繋がっています。
辛い歩みも決して無駄なものではなく、そこを歩む中に見えてくる視点を大事に受け止めたいものです。