『人はささいな言葉に傷つきささいな言葉で癒される』

私は、某日居間のテーブルに置いてある、熱いお茶の入った湯のみ茶碗を、新聞を取ろうと手を伸ばした弾みに、湯のみ茶碗ごとお茶を床にこぼしてしまいました。

その時発した言葉は

「まったくこんな所に置いとくから、こんなことになるんや。

誰や湯のみ茶碗をこんな所に置いたのは」

と自分の非は棚に上げて、声を荒げて言い放つや間髪を入れず、発した妻の言葉は

「周りも確かめず、手を伸ばしたあなたが悪い」

と来ました。

これが、発火点となりストレス発散も兼ねて、大いに口喧嘩を楽しんだ(?)のです。

この時は、頭に血が昇っていて冷静さを失っていたわけですが、よくよく考えて見ると、何ともささいな事と反省させられました。

茶碗をひっくり返したその時

「しまった。せっかく熱いお茶を入れておいてもらったのに、粗相をしてごめん」

の一言が出ていれば、

「熱かったでしょう。火傷はしなかったですか。そこに置いた私が悪いでした」

と、妻も応じてくれたであろうにと、後悔先に立たずの苦い経験であったことは言うまでもありません。

このような類の事例は、形こそ違え再三再四ありうる事であるだけに、今一度この標語を読み返してみては如何でしょう。

あなたの一言が、相手の人生を変えさせることになるかも知れませんね。

それほど、言葉のもつ意味は大きいのだと思います。