「親鸞聖人が生きた時代」9月(中期)

一方、親鸞聖人にとっては、道元禅師が顧みることのない、自力修行の能力もないまま心弱く生きている人間の救済こそが、一番の念願でした。

親鸞聖人は、しばしば自身も含めた末法下の人々を

「煩悩具足の凡夫」

「罪業深重の凡夫」

というふうに呼んでおられます。

ただ、そのような呼び方をしたからといって、決してことさら自身や悩み苦しむ人々を卑下されたのではありません。

逆に、そのような凡夫こそ、阿弥陀如来の救いに最も近いところに位置している、というのが親鸞聖人の受け止め方なのでした。

『歎異抄』に記された親鸞聖人の言葉のうち、最も人口に膾炙(かいしゃ)しているのは

「善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや」

という一文かと思われます。

いわゆる

「悪人正機説」

で、歴史の教科書にも掲載されています。

当時、この教えを曲解して、わざと悪業を働く者も少なくありませんでした。

阿弥陀如来の救いの目当ては

「悪人」

なのだから、悪を犯すことは何ら救いのさまたげにはならないどころか、むしろ積極的に悪をなすのがよいという誤った主張です。

けれども、親鸞聖人の説かれる

「悪人正機」

とは、いま見た凡夫観と同じ文脈のもので、ここに言われる善人とは、自分の善業を誇り顔にして、ともすると自力修善に陥り、本願他力を軽視するともがらのことです。

それに対して、悪人とは、末法の時代に生まれたがゆえの宿業によって、本質的に自らが悪人であることを自覚し、自身の内部に巣くう悪を目を逸らさずに見つめて生きる人のことを指します。

要するに、悪人は凡夫の別の表現に異ならず、だからこそ親鸞聖人は、世の常識とは逆の

「悪人正機説」

を唱えられたのでした。

言い換えれば、親鸞聖人は人間の本質を煩悩具足、罪業深重の凡夫と見極められたのであり、その観点すらすると僧侶と衆生、聖と俗の区別もありえません。

したがって

「無上菩提は出家受戒のとき満足す」

と道元禅師が言われるような認識は、親鸞聖人の脳裏にはかけらもなく、在家信仰の正当性を力強く鼓吹されたのでした。

非僧非俗の生活を自ら宣言して実践されたことは、その端的な現れだといえます。

親鸞聖人はまた

「弟子一人もたずさふらふ」

と言われます。

それもやはり、他力本願と凡夫観から導き出された、至極当然の認識でしかありませんでした。

これについて『歎異抄』には

「そのゆへは、わが(親鸞)はからひにて、ひとに念仏をまうさせさふらはばこそ、弟子にてもさふらはめ、ひとへに弥陀の御もよほしにあづかって念仏まうしさふらふひとを、わが弟子とまうすこと、きはめたる荒涼のことなり」

と語られています。

「自分自身も他力本願に生きる凡夫の一人に過ぎない」

という自覚が言わせた言葉ですが、それにしても、このあまりにも謙虚な態度は、他の祖師たちにはなかなか見られない在り方です。

思うに、おそらくこのような態度が、親鸞聖人の念仏の教えに集われる多くの人々をいっそう魅了していったのではないでしょうか。