「人間の本当に生きる道」(上旬)十二かける三は

======ご講師紹介======

三遊亭好楽さん(落語家)
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私たちはずいぶん嘘を言ったり、聞いたりしています。

役に立つ役にたたん、間に合う間に合わないというところで人を見ていませんか。

「あの人昔はよう間にあっていたのに、最近とんと間に合わなくなったね」

「うちのおばあちゃん八十八歳ですけど、最近は電話番もできんようになって役に立ちません」

そのような見方が虚盲なんです。

仏さまから見れば、八十八歳であろうが一歳であろうが関係ないんです。

仏さまはみんな尊い命とご覧になるんです。

私は以前、脳溢血で倒れたんです。

血圧が二百八十まで上がり脳内出血して、四時間ほど意識がありませんでした。

三人のお医者さんのうち、一人の若い先生がびっくりして、はよ知らさないかん思うて、待合室にいる私の家内と子どもたちに

「ご主人は相当悪いようですから、ようなられたとしても半身不随は免れません。

ひょっとしたら、今晩がヤマですから、一応親戚の人にお知らせください」

と言われたそうです。

家族は、フッとしって倒れたぐらいに思っておりましたから、そう先生から聞かされてびっくりしたそうです。

そして

「お通夜何時しよか。

お葬式は、だれ呼んだらええやろか」

と瞬間に思ったそうです。

それから救急室に入って、四時間後に気がつきました。

フッと目を覚ますと、お医者さんが尋ねました。

「都呂須さん、生年月日はいつですか」

「一九三七年二月二十八日」

「昭和十二年」

と言うたらお医者さんもすぐわかって、

「ああ、丑年ですな」

といらんこと言うから、国際歴で答えたんです。

指で数えながらお医者さん、びっくりしてはった。

それから、ろれつは回るか、記憶はええか、

「十二かける三は」

と言わはる。

「三十六」。

それで顔を見合わせて、意識も記憶も口も達者だというので、集中治療室に移されたんです。

しばらくすると看護士さんが病状を見に来てくださいまして、

「奥さまとお子さまが待合室におられますけども面会されますか」

と言われました。

家内は

「親戚に知らせなあかんほどの重病や。

ひょっとしたら半身不随になるかもわからん」

と聞かされてましたから、それが面会できるということでびっくりしてね。

私もたった四時間前に別れただけなのに、まるで三十年前のように涙がワッと出てきて

「母さん」

と言うた。

家内も

「父さん」

と言うて、久しぶりに手を握り合ったんです。

そのときに、家内がいみじくも

「父さん、もう五年は長生きしてね」

と言ったんです。

手術はしなかったですけど、いろんな治療のあとでボーとしてますから、私もとにかく嬉しゅうて嬉しゅうて

「生きるよ、生きるよ」

と言うておったんです。

やがて彼らが着替えを持ってくると言って帰って生きまして、フッと一人になって思うたんです。

「なんで五年やねん」。

考えてみると、長男がその当時二十三歳ですから、五年たったら二十八歳ですね。

次男は二十六歳になる。

そうすると、お父さんのやっかいにならなくてもいいかなと思うたんちゃいますか。

直接聞いてませんよ、怖いから。

だから、でも、もう賞味期限切れてるんです。