身体も、老いも、死もすべて思いのままにならなかった、つまり真実の
「人間のありさま」
に気付いたとき
「流す涙に育てられる」
と頷ける世界が開けてくるのです。
自分はいつもまでも若い、健康が宝だという妄想が消え果てたとき、開けてくる世界です。
私たちは、この真実の
「人間のありさま」
が受け入れられないから苦しむのでしょう。
思い通りにしたいという
「我が思い」
に苦しめられるのです。
身体も、老いも、病も、生も死もすべて与えられたものです。
これを
「絶対他力」
といいます。
この絶対他力の
「はたらき」
に気付けば、
「流す涙に育てられるものもある」
ことに頷けるのです。
福岡のあるお寺のご門徒のKさんは、人生の四苦八苦を何度も経験し、今は寝たきりになりながらも、まわりの人びとの心づかいに、いちいちお礼を言いながら、
「今の私は、申し訳ありませんが、笑顔しか差し上げるものがありません。
その笑顔すらできないことがあるのですよ。
もったいのうございます」
と、さわやかな笑顔を見せてくださるそうです。
その話を、その方のお寺のご住職から聞かせて頂きましたが、先生は
「健康は誰でも望むところではあるが、身体の健康には往々にして落とし穴がある。
健全なる精神は健全なる身体に宿るという諺も、半分は本当だが、半分はウソである」
と語っておられます。
病気にならなければ手に入らない大切なものもあります。
「病がまたひとつの世界を開いてくれた」
(坂村真民)
病気のことだけでなく、人生には失敗もあれば、挫折もあります。
その他にも様々な苦しみや悲しみを体験しますが、親鸞聖人は
「よきことも悪しきことも、業報に差し任せて、ひとえに本願をたのみます」
と、大変に力強い人間の生き方を示しておられます。
み教えに学んでいきましょう。