半年間教習所に通って、卒業したらいよいよ本格的に部屋での稽古が始まります。
部屋の稽古を見ていると、やっぱり怖くて不安が大きかったですね。
二子山部屋には、大関貴乃花がいまして、よく稽古をつけていただきました。
やはり、教習所の稽古とはレベルが違いました。
でも、そういう部屋での稽古がなければ強くはなれないということも実感できましたね。
学生相撲をやっていた人に比べると、中卒の僕らでは結果は出にくかったですが、それでも徐々に番付は上がっていきました。
番付は、1番下が序の口。
次が序二段です。
その序二段だけでも280人はいます。
その上が三段目で100人ほど。
三段目の下が、幕下です。
ここに上がるまででも大変なことです。
幕下は十両の一つ下なんですが、まずはこの幕下になることで、相撲界に入って最初の目標になります。
次に、僕が付き人をしていたときの話になるのですが、当時の横綱で輪島関という人がいました。
ある地方巡業のとき、貴乃花関の付き人としてついていった部屋で、輪島関にお会いしたんです。
そこで僕は、輪島関から
「お前は歌がうまいらしいな。1曲歌いながらマッサージしろ」
と言われました。
それで、僕が好きだった五木ひろしさんの歌をうたいながらずっと足をもんでいると、輪島関が
「十両に上がったら五木ひろしに会わせてやるから、お前、関取になれよ」
と言って下さったんです。
もちろん
「ごっつぁんです。よろしくお願いします」
と答えました。
昭和51年の初土俵からだんだん力がついてきて、僕の番付も上がっていきました。
地方巡業の経験も経て、昭和56年の1月、19歳で十両に昇進。
その1月場所で10勝5敗の成績をおさめました。
そのとき輪島関が
「五木ひろしと会わせてやる」
という約束を果たして下さったんです。
五木ひろしさんに会えたことはもちろん嬉しいんですが、それ以上に、マッサージしながら歌っただけで、横綱力士が16歳の序二段力士とし約束をして、しかもそれを守ってくれたということに感激しました。
それから貴乃花関ですね。
僕が新弟子のころ、ちょうど4時の掃除で土俵の前を竹箒で掃除をしていたら、貴乃花関が木戸を開けて入ってきたんです。
それが初対面でした。
緊張してほうきを持っていた僕の所に来て、僕の頭をなでてくれて
「お前強くなりたいのか」
「はい、強くなりたいです」
「よし、頑張れよ」
と言って下さった。
この一言が、僕の支えになりました。
その息子の今の貴乃花親方と飲んでその話をしていると、とても喜んでくれます。