「相撲界に入ってから今まで」(上旬)悔しくて涙が出そうになりますね

======ご講師紹介======

常磐山太一さん(元小結・隆三杉)
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僕は、中学3年の3学期から学校には行っていません。

そのときから二子山部屋での修行が始まっていたからです。

相撲部屋に入ると新弟子検査があり、それに合格した瞬間から、相撲部屋の大変な生活が始まります。

二子山部屋は関取も多く、全部で60人ほどの人が生活していましたから相部屋が基本でした。

僕は早く関取になって、個室をもらっていい生活をしたいという思いが強かったので、どれだけ叩かれても殴られて辞めたいと思ったことはありません。

それに両親に楽をさせてあげたいと思っていましたから、どんなに苦しくてもその思いを心の支えにして頑張れたんです。

この世界は番付がものをいいます。

位が上の人から順番に風呂に入って、ちゃんこを食べて休んでいきます。

十両以上になると、付き人がつきます。

付き人は、風呂に入るときは関取の背中を流したり、個室の掃除、買い物、洗濯、ご飯の給仕など、関取の身の回りのことを全部するんです。

例えば、食事の場合、関取が次に何を食べて何をするのか、ずっと目が離せません。

緊張感で満ちています。

ちゃんこを作る使いっ走りから関取の風呂や給仕など、何から何まで終わって、やっと自分たちの風呂と食事にかかれます。

でも、その時には野菜のクズしか残っていません。

だから残った汁を冷や飯にかけて、たくあんと一緒に食べていました。

先輩の物を選択するのも付き人の仕事でした。

当時は洗濯機がなく、洗濯板で洗うしかありませんでした。

でも、そういう苦しい毎日が、強くなりたいという気持ちにつながったんです。

新弟子としての仕事が全部終わると午後7時半頃になります。

相撲部屋は9時が門限なので、それまでは僕たちの自由時間でした。

町の銭湯に行って、喫茶店で涼んで、夜食を買って来たりと、その1時間半が1日の中での楽しみでした。

ただし、門限に遅れると、鬼軍曹のような古参力士に竹の棒で叩かれました。

こんな1日がずっと続くんです。

相撲界に入ると、新弟子としてまず相撲教習所に半年間通うことになります。

そこでは、四股やぶつかり稽古などの基本的な相撲の取り方の他、礼儀作法、習字などの学科も学びました。

そういう厳しい新弟子時代の中でも、時に悔しかったことが1つあります。

稽古ではありません。

ある日、夜中の12時頃に先輩に起こされて

「牛乳を買ってこい」

と言われたんです。

僕が入った昭和51年頃は、まだコンビニもなかったので

「店、閉まってますけど」

と言ったら、ガツンと一発殴られて、

「それでも買ってこい」

と言われたんです。

夜中にいつものお店に行って牛乳を買うと、お店のおじさんが

「お相撲さん大変だね。

その先輩に負けちゃダメだよ」

と言ってくださいました。

それが、心に残っています。

今でもその方とは、お付き合いが続いています。

このことは、今思い出しても悔しくて涙が出そうになりますね。

だから、自分は絶対に後輩をいじめたりしないという気持ちになりました。

もちろん、稽古も辛いものでした。

例えば相手を土俵からずっと押し出していくぶつかり稽古。

竹ぼうきで叩かれて赤くみみず腫れになるんですが、痛みは感じません。

終わって風呂に入った時、ようやく気付くんです。

稽古の苦しさが痛みに勝るほど辛かったということですね。