中務省へ、使に走った者は、省の役人から、むずかしい法規と諮問をうけて、手間どっているのであろうか、なかなか、戻ってこなかった。
青蓮院のひろい内殿は、どこかの筧(かけひ)の水の音が、寒い夕風を生み、塗籠(ぬりごめ)からは、黄昏(たそが)れの色が、湧いてくる。
供の侍従介は、さっきから、廊の端に、坐ったまま、苑面(にわも)にちりしく白い桜花をじっと見入っていた。
「おそいのう」
慈円僧正は、気の毒そうにこうつぶやいた。
ゆらゆらと、短檠(たんけい)の灯が、運ばれてくる。
「官の小役人には、法にしばられて、法の精神を知らぬものがまま多い……。
こう遅うては、みずから参って、説かねばならぬかも知れぬ」
「なんの、待ちどおしいことがございましょうぞ。
お案じなく」
と、範綱はいった。
「したが、あまりにおそい――。こうしてはどうじゃ」
「はい」
「明日か、明後日、まいらば、十八公麿を伴うてござれ。
それまでには、官のこと、一切、御印可をいただいておくが」
「では、そう願いましょうか」
範綱が、答えて、立ちかけると、
「お父さま」
十八公麿が、言う。
「僧正さまの仰せじゃ。帰ろうぞ」
「いいえ」
かぶりを振って――
「いつまでも私は、待っていとうござります」
「わからぬ駄々をいうではない、さ……」
うながすと、十八公麿は、父が、朗詠する時の節をそのまま真似て、
あすありと
おもうこころの
あだざくら
夜半(よわ)にあらしの
ふかぬものかは…
愛らしい唇で、童歌のようにうたった。
「おお」
慈円僧正は、背を寒くしたように、その声に打たれた。
「よういった。……六条どの、待たねばなるまい、夜が明くるとも」
「はい」
ほろりと、範綱はいった。
うれしいのである。
この子の才智のひらめきが。
同時におそろしい。
こんなに光る珠を、なんで、平家の者が、眼をつけずにおくものか。
待とう。
――夜半にあらしのない限りもない。
介は、今の童歌の声に、
「ああ、あのお可愛らしいお姿も、今宵かぎりか」
と、洟(はな)をすすった。
夕闇にちる花は、白い虫のように、美しく、気味わるく、光のように明滅している。
と――そこへ、
「お使いの者、もどりました」
高松衛門が、あわただしく、告げてきた。
待ちかねて、
「どうあった?」
と、僧正がたずねると、使者は、次の間にぬかずいて、
「中務省の御印可、無事、下がりましてござります」
と、復命した。